2011年 01月 01日
樊城の水攻めの前例
【2009.04.09の日記】
バイト中にみやぎたにさんの『戦国名臣列伝』を読み返している。
(*中国の戦国時代です…ややこしやー)
秦の白起のあたりを読んでいたのですが…白起が楚の副都の鄢(えん)という地を水攻めにしたということが書いてあってですね…その鄢(三国時代だと宜城という地に当たるくさい)という地が樊城にかなり近かったりしてですね…あの辺昔からどんだけ水攻めしやすいんだよ!とか思ったりして…(関羽も樊城を水浸しにしました)。
いずれも漢水(という川)のほとりなので、川の水を引っ張ってくれば水攻めもやりやすいのかもしれないけど、同じような場所で関羽のみならず白起まで水攻めをやっていたと知って、なんだかテンションが上がりました。
ちなみに、白起は夷陵を燃やしてもいるらしい…陸遜より先に白起がやってたのか…(笑)。みやぎたにさんの本によれば、夷陵は楚の陵墓がある土地のようです。戦略的に火計がしやすかったのか、それとも墓を燃やすという行為に特別な意味があったのかは、私には分かりません。
バイト中にみやぎたにさんの『戦国名臣列伝』を読み返している。
(*中国の戦国時代です…ややこしやー)
秦の白起のあたりを読んでいたのですが…白起が楚の副都の鄢(えん)という地を水攻めにしたということが書いてあってですね…その鄢(三国時代だと宜城という地に当たるくさい)という地が樊城にかなり近かったりしてですね…あの辺昔からどんだけ水攻めしやすいんだよ!とか思ったりして…(関羽も樊城を水浸しにしました)。
いずれも漢水(という川)のほとりなので、川の水を引っ張ってくれば水攻めもやりやすいのかもしれないけど、同じような場所で関羽のみならず白起まで水攻めをやっていたと知って、なんだかテンションが上がりました。
ちなみに、白起は夷陵を燃やしてもいるらしい…陸遜より先に白起がやってたのか…(笑)。みやぎたにさんの本によれば、夷陵は楚の陵墓がある土地のようです。戦略的に火計がしやすかったのか、それとも墓を燃やすという行為に特別な意味があったのかは、私には分かりません。
by huangque
| 2011-01-01 05:00
| 三国関連