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にっき

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黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。

銅雀 春深くして…

【2007.06.23の日記】

無双BBブログ、今週は周瑜が語ってましたね。
赤壁では諸葛亮など脇役に過ぎぬのだーとテンション高めにのたまっていたのが微笑ましかったです<えぇ!? そう言うからには、諸葛亮大活躍の三国志演義ではなく、正史寄りの話になるのかと思ったのですが…内容はずいぶん演義寄りでしたな…。

というのは、二喬の話…諸葛亮先生が周瑜に向かって「曹操が二喬を侍らせたいそうですよ」と言った、という話。これは正史にはなく演義にある話なのです。
演義では、そう聞いた周瑜がそんなあほなと思って「その証拠は?」と尋ねると、諸葛亮は、曹操の子・曹植の詠んだ「銅雀台の賦」の中でもそう言っていますよ…と、その賦を暗唱して見せるのです。で、聞いた周瑜がおのれ曹操!!とブチ切れるという筋になってます…(笑)。演義では、周瑜は諸葛亮を持ち上げるための道化と化してますからね…。。。

ただ、正史の注に引用されている曹植の「銅雀台の賦」には、二喬がああだこうだと言っている語句はないようです。「銅雀台の賦」の語句を替えて二喬と結びつけたのは演義の所業らしいです(これについては岩波文庫『完訳三国志』3巻の注に詳しく書いてありますのでご覧くだされ)。

ただ、最初に二喬と銅雀台を結びつけたのは、演義ではなく唐の詩人の杜牧でしょうか。
杜牧に「赤壁」という題の七言絶句があって、その最後の二句に
「東風 周郎が与(ため)に便ぜずんば
 銅雀 春深くして二喬を鎖(とざ)さん」
とあります。周瑜のために東風が吹かなければ、春深い銅雀台に二喬は閉じ込められていただろう、というような意味のif詩。演義の中にこの詩も引用されてるので、演義を書いた人はこれを参考にして曹植の「銅雀台の賦」を書き換えたんですかね…。

あと、ブログの周瑜の赤壁以降の話も演義寄りのような…でも、あのあたりはけっこう複雑で、私もよく把握してないのであまり突っ込まないでおきます…自分のほうが馬脚を現しかねないので(苦笑)。南郡が誰にいつ渡って行ったかはなんとなく分るけど(←以前呂蒙の伝を書くときにちょっと調べたので)、襄陽が分からんな…。

てかさ、周瑜が赤壁の戦いを語るときに、船を「河」に連ねて云々と言ってた箇所があったと思うのですが…そこは「河」ではなく「江」と言って欲しかった!!(*赤壁は長江沿岸にある) 「河」と「江」については、同じく無双BBブログの甘寧の語りをご覧下され…5月の最後の記事。

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keyword: 【周瑜】【赤壁】
by huangque | 2011-01-01 03:35 | 三国関連

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