カテゴリ:中国史以外(日本史)( 2 )

「三成」の出所

【2009.03.05の日記】


今読んでる『三国志演義の世界』から。
三成の名前の由来について、この本に書いてあったのですよ(笑)。まさか、三国本を見てて三成の名前の由来に行きあたるとは…ネタはどこに落ちているか分からんもんです。

この本によると…『史記』巻25の「律書」に、三成の名前の由来となる一節があるんだそうです。
「律書」には、「数は一に始まり、十に終わり、三に成る」(原文:「数始於一、終於十、成於三」)という一節があるのです。意味はよく分からんのですが(コラ)、天・地・人の「三」才が万物を生成する根源の要素であるように、つまりは三という数は、三以上のあらゆる数、万物を言い表すことができる数字だと認知されているらしい。なので、「三成」という名前は、万物を象徴する壮大な名前ということになりますか…大胆な名前だなぁ…。
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by huangque | 2011-01-01 04:45 | 中国史以外(日本史)

天守閣

【2008.11.01の日記】


昨日のN○Kの「美の壺」の天守閣特集も見ました。

扱っていたのは姫路・松江・彦根・松本メインで、天守台としては金沢を扱ってました。こっそりと、築城した大名の名前も紹介されていて、うおおそうなのかこの人が建てたんだ!という発見があって楽しかったです。自分は信濃人なので松本城に注目してたのですが…徳川の重鎮だったのに豊臣に走った石川数正が築城したのか!しかも関ヶ原合戦よりも前に!! 黒い外壁は豊臣氏の大坂城に倣ったもの、白い壁は徳川氏の江戸城にならったものが多いらしい。なので、石川さんの作った松本城は黒くて、井伊さんとこの彦根城とか池田さんとこの姫路城は白壁なのだそうです(井伊も池田も関ヶ原では東軍ですよね)。松江は堀尾氏(こっちも東軍すよね)が建てたものだそうですが、白黒取り混ぜてある様子。徳川とか豊臣とかではなく、単にデザイン的な問題っぽいですが。

建築された当時から今にまで現存している天守閣の数は12だけなのだそうです。松本城には昔行っただけですので、今度実家に戻った時、家から出かけてみようかな…それほど近くもないのだけれども;

金沢城の石垣は、いろんな時代・いろんな目的で積まれたものが一堂に見られるとのことでした。石垣を見るなら金沢城が面白いらしい。
で、代々金沢城の石垣を担当していた家には、石垣の積み方のポイントを和歌にしたものが残っているらしいです(笑)。そうか、和歌でポイント伝授ですか…和歌にすると覚えやすそうですしね。

韻文で極意を伝授…って、水滸伝にもありましたよね。金鎗手の徐寧という人は、代々「鉤鎌槍」という特殊な武器の扱い方を伝えている家柄の武人なのですが、その槍の使い方が詩として家に伝わっているらしい(笑)。
…あれ、てゆか、100回本の方を見てみると、この韻文が家伝の詩になっていない…? 120回本と、それを元にしたらしい70回本の方では家伝の詩ということになっているのだが…! …って、ちょっと込み入った水滸伝のテキストの話になってしまった; まさかこんなところで100回本と120回本の系統の差が見えるとはな…(ぼそ)。100回本で使われていた韻文を一部削除して、120回本の方では徐寧のセリフの中に突っ込んであるのか…。
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by huangque | 2011-01-01 04:25 | 中国史以外(日本史)