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にっき

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黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。

『おれは権現』

『おれは権現』 司馬遼太郎 講談社文庫 2005年(新装版)



戦国時代という荒れた時代に名を現した個性的な人物たちの短編集。全7編が収まってます。各編の主人公と梗概を以下に…


■愛染明王
福島正則が主人公。
桶屋の倅だった彼が橋の上で人を殺したのをきっかけに武士にならんことを志し、秀吉に仕えて武功を重ねていく。関ヶ原の戦いの前の小山会議では豊臣家の武将が徳川に附く決定的な役割を果た(すように仕向けられ)し、関ヶ原では東軍一の奮戦をして見せる。しかし、単純にして勁烈な性格を徳川方に存分に利用された後は、城普請を無断で行ったと幕府から言いがかりをつけられ、不遇の晩年を過ごす、というお話。
正則の性格の単純さは、時に鬱陶しさも感じるのですが、心の根底には優しさを持っていて、時に大げさなほどに人に好意を示すところなどには親近感が持てます。水滸伝で言えば黒旋風の李逵タイプだと思います…李逵よりヒドイこともしてますが(汗)。いい意味でも悪い意味でも単純すぎる人間の、不幸が感じられる一編。


■おれは権現
関ヶ原では福島正則の配下として武功を挙げた伝説的な武勇の持ち主である「笹の才蔵」こと可児才蔵のお話。
妾のお茂代が、才蔵が全く子を生さんとしないので、その原因を探っていく…というのが大筋になりますでしょうか…。その中で、才蔵はもともと酷く臆病だったこと、出来助という山伏に出会ったのがきっかけで豪勇に生まれ変わったことなどが分かってきます。子を生そうとしない原因も、彼のその過去の中にあります。
主人公は才蔵ですが、妾のお茂代も副主人公と言えるくらいに目立ってます。彼女の生涯の顛末にも含みがあります。


■助兵衛(すけのびょうえ)物語
宇喜多家家臣・花房助兵衛が主人公。
この話を読むと、宇喜多家の家老たちって本当にアクが強いな…というのが分かります…。秀家がどうすることもできなかったのも、秀吉没後に起きた例の宇喜多騒動(家臣が戸川派・長船派に分裂して対立した事件)で大谷吉継や榊原康政が仲介に入ってもなかなか片付かなかったのも、宜なるかな…という感じ。ちなみに助兵衛は宇喜多騒動に於いては戸川派で、秀家がかばっている長船派と決裂して、結局宇喜多家中を去って家康に属してます。
助兵衛は、主の秀家は言うまでもなく、秀吉にすら不遜な態度を見せる男だった。が、戦場に立てば功名心に燃え、その行動力は甚だしいものだった。その武功狂いの例として朝鮮出兵のときのエピソードが引かれ、剛直すぎて周囲の雰囲気を読めずに損するところも描かれてます。その点、正則に似ているかもしれません。
彼が求めるのは武功ばかりで女性に興味がなさそうなのに、女性の小指の骨らしきものを大事に懐に仕舞っていて、それをたまたま拾った吉備之助という巫女がその由来を明らかにしようとします。が、結局そこのところは謎のまま。


■覚兵衛物語
加藤清正の家臣・飯田覚兵衛の話。
加藤家家臣の覚兵衛と森本儀太夫とがまだ8つの子供だったころ、子供の喧嘩のなりゆきで、夜叉若という遊び仲間に仕えると誓いを立てた。この夜叉若が後の加藤清正で、清正が知行地を得ると、覚兵衛と儀太夫は本当に清正に仕えることになる。しかし覚兵衛は詩文を習ってはなはだこれを好んでおり、武勇で身を立てたいなどとは思っておらず、いつも武士を罷めたいと思っていた。しかし、覚兵衛自身の優れた用兵の才と武辺とが清正の要する所となり、覚兵衛はその才能によって「不幸にも」武士として清正に仕え続けることになってしまう。
「清正のせいで一生を誤った」と言い、本意ならずも加藤家の柱石となった覚兵衛ですが、本当に加藤家に未練がないかというとそうでもなく…。自分が成し遂げてきた事業と、昔からの理想、どちらが晩年の彼にとって重いものだったのか…。


■若江堤の霧
大坂の陣で戦死した若武者・木村重成のお話。
嘗て織田・柴田・宇喜多に仕えて転戦し、関ヶ原の戦いの後は隠居して連歌を教えていた薬師寺閑斎は、大坂方主力と期待されている木村重成の助言役を頼まれる。閑斎は重成をよく知らなかったが、妾に聞くと、大坂のおなごであれば重成を知らぬ者はいないという。実際会ってみると、確かに容姿涼やかな青年であるが、礼儀正しく、詩文や兵書にも親しみがあり己を知っている。閑斎も、彼には将器があると感心する。その若さには不釣り合いなほどの胆力を持ち、死後はその劇的な生涯から人々の記憶に残り続けた青年にとっての大坂の陣が描かれてます。
この話の前半には、重成の名しか出ておらず、彼が登場するのは中盤から。大坂の陣で閃光のごとくはかなく鮮烈に散った青年を、淡々と、しかし彼の性格の要点を抑えつつ描いている印象です。


■信九郎物語
長曾我部元親の庶子にして、盛親の異母弟である信九郎康豊のお話。
幼い頃、母に連れられて摂津の村落に来て、農家の子として育った。その元服の際に、自分が長曾我部元親の子であることを初めて教えられる。その後もしばらく、長曾我部の血を引くことを隠したまま村で暮らしていたが、母と祖父が自分を出家させようとしていることを知り、いっそ武士となろうと志すようになる。牢人が集まるという近くのほろほろ(虚無僧)の寺で、関ヶ原の戦いでは西軍大谷隊で小部隊も率いた野添勘兵衛という老僧と懇意になり、兵法や武芸を身につける。後、信九郎の存在を知った大野治長の使者が、家康との決戦のために彼の出馬を請いに来た。信九郎は、勘兵衛ら数人の牢人を引き連れて大坂城に入り、生き別れた兄・盛親との再会を果たす。敗北必至の戦いで、各々が各々の信念を持って進退を決めていきます。
信九郎の生き様は、兄に出会うところまではほとんど義経と同じ。大坂城に入った後の彼ら主従もまた義経にそっくりです。重成のような死者の数奇もありますが、生き残った者の数奇をここに見ることができます。


■けろりの道頓
かの有名な「道頓堀」を掘った安井道頓の話。その生涯についての記録はほとんど残っていないそうで、このお話も司馬さんの創作部分が多いのでしょうか…。詳しくないのでそこのところは分かりません。
道頓はふしぎな人物で、顔つきは英傑然としているのに、いつもぼーっとしていて何を考えているのかよく分からない。従弟の道卜が見るに、志さえ持っていれば天下を取れるのではないかと思えるほどの器を持ち合わせているのに、全く欲がなく大身の百姓という立場で満足し、街で秀吉に話しかけられただけでもはしゃいでしまう。また、何事に対してもけろりと無頓着のようで、手塩にかけて育てた妾を秀吉に所望されたときも、一度顔をしかめただけで献上してしまう。愚直ともいえる人の良さを持ち、街で声をかけてくれた秀吉に対して、百姓の立場から無償の忠義を貫いた市井の人の話です。
器が小さいのに志ばかりが大きくて、結果的に身を滅ぼす人物は古来少なくないですが、その逆で、器が大きいのに欲を持たずに自らの立場に満足したのが道頓でしょうか。


取り上げられた人物たちは、平穏な世であれば、馬鹿にされたり爪弾きにされるようなあくの強い人物たちが多いです。戦国という波乱の時代が、彼らの名を今に残したといえるんじゃないでしょうか。
by huangque | 2005-12-22 03:31 | 本めも

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