鷙鳥累百、不如一鶚

【2005.09.07の日記】


うーー、今日は一つまともな調べ物をしたので、以下堅い(かも)ですがその成果を書かせてくだされ…私のコピー代90円が懸っている…(笑)。まあ、例によって、呂蒙さんのことですけど!!


…これは人物列伝では割愛した話なのですが。
皖城の戦いの後、盧陵というところで賊が蜂起したんですけど、呉の諸将は誰もこれを鎮圧できなかったらしい。そこで孫権が、
「鷹(たか)が百匹いても、一匹の鶚(みさご:これも鷹の一種らしい)には敵わぬのだ(原文:鷙鳥累百、不如一鶚)」といって呂蒙殿を派遣したら、呂蒙殿はこれを早々に鎮圧してしまったらしい。
要は、優れた一人の人物(みさご=呂蒙殿)には、無能な奴(鷹=賊)がいくら集まっても敵わない、という例え。

…で、ここで問題なのが、この「鷹が百匹いても(以下略)」のこの例えが、呂蒙殿だけでなくもう一人、とんでもない人に使われていることなのですよ…!!
禰衡(でいこうorねいこう)っていう人なんですが…演義を読んだ魏好きの方は「こいつか!!」って思われるかと思います。魏の人たちを馬鹿にしまくった、折り紙つきの偏屈です。演義だと、「荀攸は墓守、張遼は太鼓係、李典は飛脚、于禁は左官屋、徐晃には豚殺しが(以下略)お似合いだ」なんてヒドイことを喋ってたあいつです…。これを聞いて張遼がキレて、禰衡に斬りかかりそうになってます(笑)。
この禰衡を、孔融(太史慈に助けてもらったあの人)が「鷹が百匹いても(以下略)」と言って、曹操に推挙したらしいのです。

…呂蒙殿と禰衡が一緒かよーー!!(禰衡ファンの方いらっしゃったらすみません…いるのかな…?)

で、なんだか納得いかなかったので、この「鷹が百匹いても(以下略)=鷙鳥累百、不如一鶚」という言葉について調べたのですよ…そしたら、典拠がちゃんとありました。
なんか長くなったので、無駄に明日に続く。

ちなみに、「鷙鳥累百、不如一鶚」を訓読すると、「鷙鳥(しちょう) 百を累(かさ)ぬるも、一鶚(いちがく)に如かず」です。

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【2005.09.08の日記】


とりあえず、分からない言葉があったら「漢和大辞典」を引けば何でも出てます。漢和大辞典は、高校や大学、大きな図書館には入ってるかも…普通に買うと20万はくだらないというすげーーー辞典です。海賊版でも、全巻買うのに5・6万するとか…海賊版も買えないよ…(笑)。でも、それくらいの価値はあるものですね。ほんとに何でも載ってます。

で、引いてみた。あった。

「鷙鳥累百、不如一鶚」の例文として、後漢書の禰衡伝と三国志の呂蒙伝からの文章がばっちり引用してありましたが(笑)、一番最初にこの言葉が書かれたのは、漢書の鄒陽という人の伝らしい。

でも、大漢和に引いてある文章だけではどういうところで使われた文なのか分からないので、鄒陽さんについて調べてみた(呂蒙殿のためなら火の中水の中)。

鄒陽は前漢の人(漢書に載ってるんだから当然と言えば当然ですけど…)。最初、呉王・劉濞(りゅうび。でも兄者じゃないです/笑)に仕えたけれど、この劉濞が漢王朝の中央に叛こうとたくらんでいたらしい。鄒陽はこれを諫めたが聞き入れられず、劉濞のもとを去って別の王に仕えたとか。気骨があり、文才にも恵まれた人であったらしい。
ちなみにこの劉濞は、世界史をやった方なら聞いたことがある「呉楚七国の乱」の反乱側の盟主です。

で、この鄒陽が、劉濞を諫めた文の中に「臣聞、鷙鳥累百、不如一鶚…」という言葉があったのです。文頭に「臣聞」(わたくしはこのように聞き及んでおります…)とついてるので、この言葉は鄒陽が考えた言葉ではなく、一般でも言われていたことらしいですね。あるいは、自分の意見に婉曲性を持たせるために「臣聞く」とつけたものか。

でもここでは、「鷙鳥累百、不如一鶚」という言葉は「無能な奴がいくら集まっても一人の優れた人には敵わない」という意味では使われてないようです…。
劉濞は、反乱を起こすに当たって武力(のある人)を集めようとしていたようですが、鄒陽はそれを指して「鷙鳥累百」と言っています。しかし、いくら武力を集めたところで、劉濞の行動に正義がないのだから勝てませんよ!!と鄒陽は言いたかったようで。その「どうしても勝てないもの」の例えが「一鶚」であるようです。漢書の注によると、「一鶚」は天を指す、とあります。

要は、漢書だと、「鷙鳥累百、不如一鶚」というのは「いくら力を集めたところで、その行いに正義がなければ絶対に勝てない」という意味合いで使われているようです。呂蒙と禰衡の伝で「無能な人があつまったところで有能な人物には敵わない」という意味で使われてるのとは違います。
でも、呂蒙伝と禰衡伝のこの意味合いで考えるのが一般的みたいですが…。鄒陽の伝での意味のほうが特殊で、鄒陽の生きていた時代から、一般には呂蒙/禰衡伝と同じ意味で使われていたんだと思います。

要は孫権(孔融)は、漢書のこの部分を引用して呂蒙(禰衡)を褒めたんですな。
漢書といえば、孫権が呂蒙殿に勧めた本の中に入ってますね。呂蒙殿、孫権からのこの言葉を聞いて奮起したんじゃないですかね?

呂蒙と禰衡が一緒なのはやっぱりそれなりに衝撃が大きいですけど、大本の出所である鄒陽さんがなかなか見所のある人だったのでよかったです(何この結論)。
とりあえず、出所が禰衡伝でなくてほっとしました(笑)。

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【2005.09.09の日記】


あっ!! 最後に! 昨日の小難しい話のおまけ。
呂蒙殿&禰衡を評した「鷙鳥累百、不如一鶚」という言葉から、「鶚薦」(がくせん)という言葉ができたみたい。意味は、優れた人物を推挙すること。
呂蒙殿が陸遜を推挙したのが、まさにこの「鶚薦」ですかね(笑)。

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keyword: 【呂蒙】【禰衡】【鄒陽】【劉濞】
by huangque | 2011-01-01 01:20 | 三国関連

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