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にっき

hachiwa.exblog.jp

黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。

215年荊州騒動メモ

【2007.09.25の日記】

課題中です…が、ちょっとメモだけ。ほんま自分用です。。。

215年、荊州の帰趨をめぐって孫権・劉備が一触即発の状態になったとき、呂蒙は2万の兵を率いて長沙・零陵・桂陽の三郡を攻略した。
正史呂岱伝を見てみたら、同じ215年、呂岱が同じ三つの郡を攻めたとある。もしかして呂岱は呂蒙に従い、三郡攻略に従ったものか。この頃呂蒙は既に一郡(廬江)の太守を務めるほどになっているから、官爵の上下から言っても、呂岱(中郎将)が呂蒙に従うというのが自然…かな。中郎将の位の高さが分からないけど。

*呂蒙の場合、208年の黄祖討伐で横野中郎将となり、その後偏将軍(208年)になってるので、偏将軍>中郎将、かな。凌統も盪寇中郎将(214年)の後に偏将軍(215年)になってるから、やはり中郎将よりは偏将軍の方が上位だと見ていいんだろうな。
当時、呂蒙は偏将軍という位の上に廬江太守という官を加えられてるから、昭信中郎将だった呂岱よりはやはり上位でしょう。

正史呂蒙伝には、三郡攻略後、零陵を孫皎に任せたとあり、正史呂岱伝には、三郡攻略後は孫権が呂岱を長沙に留めたとあるから、呂蒙は三郡を奪取した際、零陵に孫皎、長沙に呂岱、桂陽に誰か(<オイ)を置いて益陽の魯粛の救援に赴いたんだろう。

以前うちの人物列伝の呂蒙伝を書く時にこれについても調べたけど、正史の中で呂蒙の名前のあるとこを索引で探して調べてたから、呂蒙の名前が出ていない呂岱伝には辿り着かなかったんだよね…時々正史をぱらぱら見てると、そういう遺漏が見つかって面白い。

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keyword: 【荊州】【呂蒙】【呂岱】【孫皎】
by huangque | 2011-01-01 03:50 | 三国関連

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