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…また間が空いてしまいましたすみません; ぜんぜん呉祭ができてねえ…。。。でも、地道に調べ物はしていて、今年に入ってルーズリーフ30枚程度のメモを取っていたりします。使いどころが分からんメモだけど…(エッ)。

孫堅~孫策の頃の呉に詳しくなかったので、『資治通鑑』を見て時系列の確認をしながらまとめたりしていました。
そこでちょっと引っかかったのが、タイトルの荊州三郡について。この三郡というと、215年に孫権の命令で呂蒙が劉備側から奪取した三郡、というイメージが強いんですが、この三郡セットを孫堅~孫策の代の記事もチラチラ見かけたのです。


まずは孫堅が長沙太守となった頃。『通鑑』だと初平元(190)年あたり。
孫堅は長沙の区星の乱を平定して長沙太守となった後、零陵・桂陽の賊も討伐したとあります。例の三郡で反乱が起きて、孫堅がそれを鎮圧したっちうことになります。

孫堅はその後、なんやかんやあって荊州刺史の王叡を討ち(この王叡、孝子として有名な晋の王祥の伯父らしい…!)、董卓討伐に向かいます。で、王叡に代わって荊州刺史になった劉表が、董卓討伐をスルーして荊州に乗り込んできて、孫堅が平定した三郡を含む荊州を我がものとしたらしい。孫堅からすれば、自分が董卓討伐に行っているスキに、自分が平定した三郡を劉表に取られたようなものなのかも。


もう一か所が、『通鑑』建安3(198)年の記事。
長沙郡の人である桓階(魏志巻22に伝がある)が、劉表と仲が悪い長沙太守・張羨に対して「長沙・零陵・桂陽の三郡の力で劉表を撃退し、曹操と結ぶのがよい」的なことを進言してます。ここでも例の三郡がセットで出てきます。この三郡には孫堅の遺徳があり、だからこそ劉表に抵抗するにはこの三郡が相応しいのかなあ?などと妄想してしまいます。

なお、桓階は孫堅によって孝廉に推挙されたことがあり、孫堅が劉表の部将・黄祖により戦死した時は、その遺骸を引き取っています。彼のように、この三郡には孫堅に恩義を感じている人物が少なからずいたかもしれない…。


215年に孫権が、荊州の中でも特に長沙・零陵・桂陽の三郡を奪取させたのは、このように孫家と縁の深い地だったからなのかなあ?などとも思ってしまいます。呂蒙が戦うまでもなく長沙・桂陽を降すことができたのも、もともと孫家にゆかりのある地だったから…なんて考えるのはナシでしょうかのう。


…などと、まあいろいろと妄想してしまいましたが(笑)、『資治通鑑』の184年~200年のあたりしか見てないので、後でこの考えが覆る可能性はあります。しかし、あの三郡が劉表が荊州を統治する前から孫堅と縁があったとは知らなかったなあ…。



【追記~】

…なんとなく『読史方輿紀要』(巻2・前漢の荊州刺史部んとこ)を見てたら、例の三郡の関係が分かった…孫堅の時代から400年も前から、あの三郡はつながっていたんだ…。

長沙・零陵・桂陽は、秦が郡県制を布いた際、もともと一つの郡(長沙郡)だったらしい。漢の文帝の頃から分裂してしまったらしいが、それまで50年くらい?はひとつの郡だった様子。たぶん、これがあの三郡がセットになってる所以だと思われる。あの三郡の関係は後漢末期の400年も前から始まってたんや…いや、もしかするともっと前の楚の頃から始まってるのかもしれんけど…。ちうか、そんなことが分かってしまう『読史~』がまたすげい…。

三郡と孫家(呉)の関係はまだ分からんけど、三郡がセットになってる理由に見当がついてすっきりした…。

『読史~』は時々見るのですが、見ていると呂蒙殿の見識の高さが分かるのもまた素敵。特に濡須塢の建設がいかに卓見であったかが分かる。あのあたりは後々「無為」なんて地名になるようなんだが(水滸伝にも出てきてた地名ですな)、それは曹操が濡須を攻めても「為すこと無く」退くしかなかったことがその由来らしい。だから無双8の濡須口の戦いで呉が負けた感じになるのがごにょごにょ(愚痴になるので以下省略)。

# by huangque | 2019-02-17 23:25 | 三国関連

2019です!

あけおめです! 前の記事の通り、呂蒙殿没後1800年です!! 30回目の己亥の年です!

今年の年賀状には、こちらの絵を描きました!
d0130026_01020510.jpg
年賀状が届いた方は「え…誰?」と思われたかと思いますが、以前絵を描かせていただいた『恋する三国志』の甘寧・呂蒙・陸遜(左から)です。実は、出版から10年目にもなりますので、無双の呂蒙殿ではなくこちらの呂蒙殿(と甘寧陸遜)を描いてみました。二次創作です。色は非公式です…。もうあれから10年も経つのか…絵を描く人間としての自分の時計が6年前(今の仕事始めて)から止まったままなので、そんな昔のこととは思えない…。大変ご迷惑をお掛けしましたが、貴重な体験をさせていただきました懐かしい。

ということで(?)、今年は呂蒙殿メインで呉関連の更新を(可能な範囲で)頑張りたいです!(抱負)

# by huangque | 2019-01-05 01:19 | ■日記
2019年ですね!! 呂蒙殿(と蒋欽と孫皎と陸績と関羽と夏侯淵と龐徳とかとか多すぎる;)の没後1800年ですね!!! ということで今年は勝手に地味にまったりと(…)ひとり呂蒙殿(とか呉)祭をやりたい所存です。

で、早速!
『読史方輿紀要』を見てたら呂蒙殿がらみの地名をけっこう見つけたのでまとめてみる!
以前見つけた呂蒙殿がらみの地名も『読史~』にあったものなのですが(青木定雄が作成した索引で調べた)、それ以外にもいくつかありました!


【丹陽付近】→駆け出しの頃、このあたりの反乱鎮圧に従事
呂城(『読史~』巻25、鎮江府ー丹陽県ー呂城)
呂蒙が築いたと言われ、(『読史~』が著された清の時点で)城壁も残っている様子。水運の要衝。


【廬江(皖城)付近】→皖城の戦いで魏の朱光を破り、その後廬江太守になっている
呂蒙城(巻26、安慶府ー懐寧県ー皖城)
『城邑考』なる文献によれば、呂蒙が皖城に駐屯した時に築いたという。

呂蒙城(巻26、安慶府ー桐城県ー陰安城)
桐城県東南にあり、呂蒙が築いたと言われている。
※なお、桐城県の南の方には、魯粛が駐屯したといわれる「魯鎮城」という場所もあるらしい!
魯粛さんも実は皖城攻略に従軍していて、その後で横江将軍に任命されている(魯粛伝)。


呂亭(巻26、安慶府ー桐城県ー呂亭)
桐城県の北の方にある。呂蒙がかつてここに軍を駐留させたといわれている。

呉塘陂(巻26、安慶府ー潜山県ー呉塘陂)
呉陂堰ともいわれる。「魏志」にある、揚州刺史の劉馥が開いた「呉陂」がこれに当たるらしい。
魏の朱光と呉の呂蒙が争った場所がまさにここで、塘は朱光が造ったともいわれる。
あるいは、呂蒙がこの地に水を通し、300頃の稲田に水を注いだともいわれる。

※皖城のあたりにはやたらと呂蒙殿がらみの地名がありますな。呂蒙殿が築いたとされる城も複数あります。皖攻めの時の呂蒙殿は、土塁とか築かずに速攻!を主張してるので、皖を攻略して廬江太守になった後に、城を築いたり水田を開いたりしてるんでしょうね。


【沙羡付近】 →赤壁に近い。陸口や夏口にもちょっと近い
●呂蒙城(巻76、武昌府―嘉魚県―沙陽城) 嘉魚県=漢の沙羡県らしい。
嘉魚県の南西80里のとこにある。孫権が呂蒙を零陵に派遣した時、呂蒙がここに築いたものらしい。
『郡県志』なる文献によれば、呂蒙が荊州を平定した後に(215年の三郡奪取の方かな)ここを守ったらしい。
※この頃呂蒙殿は廬江太守なんだけど、廬江から長江を遡って荊州方面に行くなら、確かにこのあたりを通る。それ以外に沙羡と呂蒙殿の接点ってあるのかな…。


【公安・孱陵付近】 →荊州奪還後に孱陵侯に封ぜられる。公安で病気療養して没する
●呂蒙城(巻78、荊州府―公安県―馬頭城)
公安県の北25里のところにある。呂蒙が孱陵に駐屯した時、城を築いた。
※…とはいうものの、孱陵に駐屯したようなことは書いてないし、荊州奪還して孱陵侯に封ぜられてから没するまでに城を築いてる時間的余裕もあったんだろうか…; それとも江陵に攻め込む前のこと?? 孱陵は公安に近く、呂蒙殿は荊州奪還後に公安で療養してたから、その時に城を築いたのか…?でもやっぱり時間的な猶予がない;;
ちなみに孱陵の近くには、孫権の妹(=無双でいう孫尚香)が劉備との仲が悪くなったときに住んでた城があるらしいです。



【零陵付近】 →215年に孫権の命令で長沙・零陵・桂陽の三郡を奪取
●呂蒙城(巻81、永州府―零陵県―応陽城)
呂蒙が(劉備側の)零陵太守・郝普を攻めた際、城を築いて攻撃を仕掛けた。


【烏程・故鄣付近】 →駆け出しの頃、この近くの広徳県の県長に任ぜられている
●呂山(巻91、湖州府―長興県―呂山)
長興県の南東20里のところにある。またの名を「程山」。呂蒙と程普が山賊を討伐した際に駐屯した。
※なんか、これと関係ありげな話が、同じ巻91の湖州府―帰安県―石城山の記事に引かれている(帰安県は烏程に該当)。張元之(張玄之)の『山墟名』なる文献によれば、厳白虎がここ(石城山)に石を積んで城を築き、呂蒙殿と戦ったらしい(私の持ってる、中華書局のやつの影印本だと、「呂蒙」が「石蒙」になってるけど笑)。呂蒙殿が厳白虎と戦った、なんていう記事は見たことがなかったんだけど、そんな話もあるのかー。
…と思ってたら、さんごくし集解の呂蒙伝に同じ話が引かれてた; ただし、集解だと(趙一清の(たぶん『三国志注補』の)また引きで)『(太平)寰宇記』巻94が出典になっている。


# by huangque | 2019-01-01 02:19 | 三国関連

けんこう実録

…2018最後はこっちですすみません! 仕事納めでテンションが上がり、やっと書きあがった年賀状を吹雪の中投函してきてテンションがおかしくなり(…)、日記を書きたい衝動に駆られてしまった…。

まあ、たまたまネットで見つけた『建康実録』が面白かったというのが一番の動機です…。
むしろ今まで目を通していないあたり呉好きとしてアカンような気もするのですが(汗)、無双界隈だと練師の名前の出所だということで話題になっていたという印象が強い文献です。

『建康実録』は唐の許嵩という人物が編纂したもので、建康に都を置いた六朝の歴史を記したものらしい。
呂蒙殿の名前がちらっと見えたところを拾い読みしただけなので(…)全体的な信憑性の有無とかはよく分からんのですが(ネットで調べる分には信憑性がなさげなんだが…笑)、正史と違うことが書いてあって面白い。

たとえば、
・甘寧が濡須で曹操の陣営に夜襲を仕掛けたのは212年。(正史にははっきり書いてない。演義だと216-217年の濡須口の戦いでの出来事になってる。『資治通鑑』は213年のこととみなしている様子)
・甘寧が没したのは215年の冬。(正史を見る限り没年は特定できない)
・凌統が没したのは217年で、享年29。(正史だと享年49歳=237年没。ただしこれは正史の方が間違いだと思われる。『太平御覧』でも凌統の享年は29歳だと書いてあった)
・魯粛が没したのは218年秋。(正史だと217年)
・呂蒙の享年が40歳。(正史だと42歳)
・呂蒙殿が「南昌太守」なるものになってる(正史だと南郡太守。南郡太守と漢昌太守が混じって南昌太守になった???)
とかでしょうか。甘寧の没年がこうもハッキリ書いてあるのが衝撃だった…ちうか、没年が思いのほか早くてびっくりした…。

個人的に一番ツボに入ったのが合肥の戦いの記事ですかね…。
『実録』だと、合肥の戦いは216年の出来事ってことになってます(正史では215年)。
孫権が合肥から撤退を始め、1000人程度の兵とともに残っていたところを張遼に襲われるという筋は同じなんですが、張遼に襲われる前にのんきに将軍たちと宴会を開いてたって書いてあって…ま、まじか(笑)。のんきな宴会のせいで、凌統が手塩にかけて育てた兵が全滅したとか、そんなん嫌や…。正史だと、孫権以外に凌統・呂蒙・甘寧・蒋欽といった錚々たる呉の将も一緒にいることになってるんだけど、その連中ものんきに宴会やってたとか嫌や…(『実録』に従うならば甘寧は不在っちうことになるけど)。呂蒙殿の戦歴で唯一の手痛い敗戦の原因がのんきな宴会とかマジで嫌や…(笑)。張遼のかっこよさも2割くらい減になるから嫌や…。
窮地を脱した後、孫権が泣きながら血が出るまで指を噛んで生涯の戒めとした…みたいなことも書いてあるけど、確かにこれは大反省ものだよな…;

# by huangque | 2018-12-28 22:33 | 三国関連

2018最後!(たぶん)

前の日記で猛暑を嘆いていましたが、次に日記を書くのが雪も降った後になってしまうとは…; こちらは既に雪が降りました。寒いです。

久方ぶりにも程がありますが、なんとか生きてました…。ホント、なんとか生き延びたという感じです。来年もなんとか生き延びたい。あと、やりたいことやりたい。今年はやりたいことを悉くさせてもらえなかった気がする…数少ない長所を全部叩き潰されたなあ…(遠い目)。
今年春の中国旅行記は来年に持ち越しです。旅行から1年経つ前には仕上げたい。。

年賀状にも手を付け始めました。25日投函はちょっと厳しそうだけど、年内投函はできるようにしたい…。そういえば、今年春に引っ越ししてから転居先を連絡してない方がいっぱいだ(汗); もし年賀状を送ってくださるという奇特な方がいらっしゃったら、旧住所を書いて送っていただければ…郵便局さんにはお手数をお掛けするが、転送してもらえるので…;

棒茄子が出ると中国書をなんとなく買ってしまうのですが、今回も気になるものをいくつか頼みました。今回買った中で大当たりだったのは『三国職官表』ですね…! 正史三国志訳の巻末の「三国官職表」は、これを基にして作られてます。「官職表」の方は、日本語に訳されてるし整理されていて見やすいんですが、『職官表』の方は情報量が多い…官職に就いていた人の一覧が載ってる!これがすごい(>_<)! 呉の欄を見る限り、若干の遺漏や間違いもあるにはありましたが、一からこんなん作るなんてすごすぎる…脱帽ですわ…。

来年は、とある理由から勝手に地道に呉祭をしたいと思ってるので(笑)、そこでも役立てられたらいいなあ。
…「とある理由」をお察しの方はたぶん同志の方なので、お友達になってください(笑)。「とある理由」については年始には明らかにしたいと…って、もったいぶるようなものでもないんですが;

# by huangque | 2018-12-23 23:17 | ■日記

黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。


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