映画「運.命.の子」感想…というかめも

先日(2012.01)見に行った、趙氏孤児が題材の映画の感想…というよりも、自分で後で思い出すためのめもです。自分は普段映画は全っっ然見ないので(…)映画的な感想は書けませぬ; 自分の知ってる趙氏孤児物語との比較が中心になりまする。

自分は『左伝』/『史記』趙世家/元曲「趙氏孤児」/『東周列国志』に目を通したことがあります。南曲や京劇にも趙氏孤児話を扱った劇があるそうなのですが、そっちは見たことがないので比較対象として引き合いに出せないとです…あしからず; あと、記憶違いもあると思いますので、あらかじめご了承ください…。

この映画は、前半は既存古典を踏まえた部分が多く(もちろん異なる部分もあり)、後半(特に程嬰・屠岸賈・程勃=趙武の関係)はオリジナル色が強いです。原典として『史記』を挙げてますが、むしろ元曲のあらすじにとても近かったです。



最初は趙朔の凱旋から…かな<エエッ;<背景とか衣装とかをガン見してて字幕見てなかったので曖昧;; 趙朔は元帥として出陣し、勝利を収めて凱旋帰国します。(ヒツの戦いなんてなかった…。)親父の趙盾とは普通に親子してるっぽいです。趙盾は当時最も有力な臣で、屠岸賈は趙盾がいるせいで権力の座から遠ざかった位置に居る武官ちう感じでしょうか。一人名無しの策士さんがいつも屠岸賈と一緒にいます。テライケメン将軍の韓厥もわりと一緒にいます。
※これは、韓厥は屠岸賈の配下の将軍という元曲の設定に基づくと思われます。映画の韓厥は、趙さんちに恩があるとかそういう設定はなさげ。普通に屠岸賈の下で働いてます。

この時霊公の姉にして趙朔の嫁である荘姫は出産目前で、医者の程嬰が健康管理をしてます。40歳の程嬰も実は嫁が赤ちゃんを産んだばかり。嫁さんは程嬰が提案した子供の名前が気に入らんようです(笑)。
※荘姫は、『史記』では成公の姉(=霊公のおば)、『左伝』では成公の娘(=霊公のいとこ)だった気がします。細かいことを気にしたらアカンとは思うのですが、荘姫の「荘」は趙朔の諡「趙荘子」に由来すると思われるので、趙朔が生きてる時点で「荘姫」と呼ばれるのには引っかかりがあったりする…「孟姫」ならいいんだけども…。
『左伝』は「荘姫」「孟姫」兼用、『国語』は「孟姫」、『史記』「趙世家」では「夫人」、元曲では確か「公主」、『東周~』では「荘姫」。荘姫の方が馴染みがあるのかな?
程嬰は元曲でも医者。年齢は元曲だと45歳で、映画設定と近い。


趙さんち凱旋の際、アホで有名なポッチャ…ゲホッ霊公は、『左伝』で披露した無駄特技・パチンコで趙さんちが乗る馬車の馬にクリティカルヒットを浴びせます(ただし、『左伝』などとは違って趙盾と霊公の関係は険悪ではない。ただのイタズラ)。しかもそれを屠岸賈のせいにして、趙さん親子に対して謝罪をさせます。俄然屠岸賈の殺る気も上がります。

屠岸賈は策士くんと一緒に霊公暗殺計画を立て、霊公を殺した罪を趙盾に着せて趙氏一族を皆殺しにしようとします。秘密のお部屋で、霊公を殺すために変な蚊みたいなのを使って動物実験してみたり、獰猛な犬を趙盾と同じ服を着せた人形(?)に噛みつかせる練習をします。
※獰猛な犬といえば、『左伝』で霊公が趙盾を噛み殺させるために飼育してたゴウという猛犬がいますが、そいつを屠岸賈が育てています。これも元曲の設定。元曲では趙盾は普段紫色の服を着ていて、屠岸賈は紫色の服の人形に噛みつかせてましたが、映画の方では赤い服でした。趙盾も赤い服を着てました。

朝廷で行われた戦勝祝いの宴の席で、屠岸賈は例の蚊を使ってぽっちゃ…霊公を暗殺。「犯人は趙盾だ!」と言って猛犬を放ち、また衛士たちに趙盾を殺させようとします。趙盾の側にいたボサ髪ワイルドなイケメンと、ガッツリ着こんでいかにも屈強な武人の二人が趙盾を守るために奮戦しますが、ボサ髪イケメンの方はその場で戦死、屈強武人の方は趙盾を車に載せて脱出を図り、途中で車の片方の車輪が大破しても鎖で車軸を支えて逃げ続けますが、屠岸賈が伏せていた弓兵の餌食となって二人とも殺されるという衝撃の展開です。
※『左伝』でも、霊公に殺されかけた趙盾を守った提弥明・霊輒という二人が出てきて、提弥明は趙盾を逃がすため戦死し、霊輒は趙盾の乗った車の車輪を持って逃亡させてますよね。つまり、その場で殺されたボサ髪ワイルドな方が提弥明、屈強な武人が霊輒だと思われます。この二人は、元曲でも屠岸賈の罠にかかった趙盾を救うために奮戦してます。なお、元曲では趙盾は死なず、どこかへ逃げてそのまま行方不明になってたと思います…; 元曲は単純明快かつ細かいことは気にしないので、そんなこともあるさ…。

趙朔は戦勝祝いの宴の前に、妻が出産したという報を受けて家に戻りますが、これが屠岸賈の罠だったようで…。

程嬰はこの日も身重の荘姫のもとへ行って診察。生まれたばかりの子につける名前を妻が気に入ってくれないなどと愚痴ってたりします(笑)。荘姫は、「勃」という名前がいいのではないか、と程嬰に提案します。
この間の細かい展開はウロなのですが(汗)、趙盾を殺した勢いそのままを駆って屠岸賈は趙氏の邸宅に攻め込み、瀕死となった趙朔が荘姫のいる棟までかろうじてたどり着き、荘姫に逃げるよう言い残して絶命。そして荘姫はその後に子供が生まれそうになり、そのまま出産。荘姫はお腹にクッション的な物を入れてまだ子供を身ごもっているように装い、薬籠に生まれたばかりの赤ちゃんを入れ、程嬰に托します。

しかしそこに屠岸賈配下の韓厥が登場。程嬰の持つ薬籠から赤ちゃんの声が漏れていることに気づき、籠をひったくろうとします。程嬰と荘姫もさせるものかと抵抗するも、本業の武人に力負けし、結局赤ちゃんを韓厥に奪われ…と思いきや、程嬰が妻のために土産に持ってきて置きっぱなしにしてあった生魚に足を滑らせて韓厥がすっ転び(笑っちゃいけないとこだけどちょっと韓厥おまえ…笑)、籠は程嬰荘姫の手に。なおも引きさがらない韓厥に、荘姫が衷情を切々と訴えます。韓厥も同情はあるものの、赤子を逃せば自分が危険にさらされる。そこで荘姫は、大きく見せかけたお腹のまま自分は自害し、貴方は荘姫に騙されたと屠岸賈に報告すれば、赤ちゃんを見逃してもよいのでは…と言って自害。程嬰は赤ちゃんを籠に入れて逃げ出し、韓厥は彼を追わずに帰ります。
※元曲の韓厥は荘姫の邸の門番をやっており、荘姫の産んだ赤ちゃんを入れた薬籠を抱えた程嬰に尋問しています。しかし、元曲の韓厥の方は屠岸賈に仕えながらも屠岸賈のことを嫌っており(元曲は基本的に善悪が明白で、屠岸賈は純粋な悪役なので)、程嬰をそのまま逃がしてやり、己は己の口封じのため自害という激しい展開になっております; この場面も、元曲のこのあたりのシーンを再構築してる雰囲気。
また、元曲の荘姫(公主)も、程嬰に孤児を托した後に自害しています。これも己で己の口封じという感じで、唐突な自害ではあるのですが…。映画の方ではうまく理由づけしてあるなーと思いました。


趙氏邸の制圧が完了すると屠岸賈も自ら邸に足を運び、荘姫の遺骸を認めます。しかし、彼女の大きなお腹が偽りであり、彼女が既に子供を産み、その子が既に何者かによって救い出されていることに気付いた屠岸賈は、失態を犯した韓厥の顔面に斬りつけます。これ以降、韓厥は屠岸賈を恨むようになります。
※先述の通り、元曲では自害する韓厥ですが、ここでは屠岸賈に斬りつけられるのみ。『史記』などでは趙氏孤児(趙武)復権の手助けをするのが韓厥なので、後々韓厥にそれをさせるために死なせなかったのかと思ったのですが(なお、元曲では序盤で韓厥が自害してしまうので、趙氏孤児復権の手助けをしてやるのが魏絳ということになってます…)、結局趙氏孤児復権のシーンは最後までなかった…。しかし、屠岸賈に復讐しようとする動機が、顔に斬りつけられたからというのは、ちょっと小物っぽくていやいやいやと思ってしまう;

程嬰は、公孫という人物にこの子を托して欲しいと荘姫に頼まれていたため、趙氏の子を家に置いて城内の公孫の家を訪ねるが、当人は外出中。やむなく程嬰は自宅に戻るものの、趙氏の子が見つかりません。妻に詰問すると、屠岸賈が趙氏の遺児を探し出すために赤ちゃん狩りを行っており、程嬰の不在時に屠岸賈の手下がやってきて、そのとき抱いていた趙氏の子を渡してしまった…とのこと。これを聞いて程嬰は愕然…屠岸賈は国中の親から赤ちゃんを回収した後、両親のない赤ちゃんを探し出せばそれが趙氏の子だからこれを殺そうとしておるのです(という感じだと思います)。つまり、程嬰夫妻の手元に残ったこの子が趙氏の遺児としてターゲットにされてしまうことになったのです。
※元曲でも屠岸賈が赤ちゃん狩りをやってます。元曲の方では、生まれて6か月以内の赤ちゃんを国中から集め、趙氏孤児が見つからなければ赤ちゃんを全て殺すと布令を出してます。元曲では程嬰は自らの意志で自分の子と趙氏の子をすり替えて、趙氏の子を守り通しますが、映画の方では偶然入れ替わったことになってます。ここは映画のオリジナルです。元曲では程嬰は趙氏の世話になってる設定だったと思いますが、映画の方では荘姫の診察に行く程度の接点しかないので、その差がここに現れてるのかも。

もめる程嬰夫妻のもとに、公孫が訪問。趙氏の子を預かろうと言うが、夫妻が抱える子が趙氏の子ではないことが判明。このあたりよく覚えてないのですが(汗)、とにかく公孫は程嬰の嫁さんと赤ちゃんを連れて城外に出ようとしますが、城門が閉ざされていたので城内の公孫の邸に引き返し、赤ちゃんと程嬰の嫁さんを隠します。
※公孫(杵臼)が趙氏と縁があり、これに趙氏の遺児を托すというのも元曲と同じ。元曲の公孫杵臼は趙盾のかつての同僚で、既に隠居して太平荘というところに住んでます。公主(荘姫)に托された子をどうしようか悩んだ程嬰は公孫杵臼に相談し、公孫杵臼が趙氏孤児(とすり替えた程嬰の子)を匿うことになってます。

程嬰は、赤ちゃんたちの親が集められている(朝廷の?)庭にやって来ます。赤ちゃんたちは狩り集められたもののまだ生かされているのですが、趙氏の子が定刻までに見つからない場合は皆殺しにされてしまうのです。屠岸賈は親たちの前に現れてそう宣告し、また程嬰一人を呼び出します。赤ちゃんが連れて行かれる際に他の両親たちは揃っていたのに、お前だけいなかったのは怪しいと疑っているのです。程嬰宅から連れてきた赤ちゃん(すなわち趙氏の子)を程嬰に見せ、これは本当はお前の子ではなく趙氏の子ではないのかと尋ねると、程嬰は自分の子に間違いないと言い張ります。しかし屠岸賈は荘姫の診察も行っていた程嬰を疑っており、ここにいるのがお前の子なら趙氏の子の居場所を白状せよと迫ります。程嬰は知らないふりをしますが、屠岸賈に「もし白状しないと、お前のせいで赤ちゃんが皆殺しになると親たちに言うからな!」とカマを掛けられ、「公孫に托しました」と言ってしまいます。
※諸古典では程嬰と公孫杵臼は打ち合わせを済ませた後に程嬰がバラしてますが、ここでは二人の事前の確認はありません。『史記』などでは趙氏孤児の身代わりの子を屠岸賈に殺させて安心させることが二人の目的ですが、映画では程嬰も公孫杵臼もそういう共通の目的を持ってないので、事前の確認もナシなのだと思われます。

公孫もこうなることは分かっていたようで、程嬰の妻と子を隠し部屋に隠し、斎戒沐浴して(<なんか普通に風呂っぽくもあったんだけど)静かに待ってます。するとそこに程嬰を連れた屠岸賈と兵たちが現れ、公孫の邸を囲みます。公孫は屠岸賈に、存分に邸の中を捜せばよいと言うと、屠岸賈は部下たちに大きな物音を立てさせます。すると、それに驚いた赤ちゃんの泣き声が…。したりと屠岸賈はその声の元に行き、行く手を阻んだ公孫を刺殺し、壁を壊して程嬰の妻と赤ちゃんを見つけてしまいます。屠岸賈は顔を見るだけだからと赤ちゃんを受け取ると(その前にもやりとりがあったんだけど細かいところをあまり覚えてない;)、そのまま地面に叩きつけて殺し、剣を執った程嬰の妻をも殺して、公孫邸を後にします。

実の子も妻も失った程嬰は、手元に戻された趙氏の子に、荘姫にもらった「程勃」という名をつけ、男手ひとつで育てることになります。この子を育てて、この子の手で屠岸賈に復讐をさせようと考え、程嬰は公孫を密告した功によって己を家臣とするよう屠岸賈に申し出ます。屠岸賈はそれを承諾し、程勃の面倒を見るもう一人の父のようになります。こうして程勃に愛情を持たせ、その子に殺されるならば、屠岸賈の絶望感がより大きなものとなる…程嬰が屠岸賈に仕えた目論見はそこにありました。
※元曲においても、程嬰は屠岸賈によって取り立てられ、二人で程嬰の子(=趙氏孤児)を育ててます。映画では程嬰が自ら望んで臣となっていますが、元曲では屠岸賈が程嬰の密告の功に報いる形で取り立ててます。程嬰の子(趙氏孤児)の「程勃」という名も、元曲が元ネタ。

これ以降は映画オリジナルの展開が続いて、自分の知ってる諸古典の展開からは離れていき、屠岸賈・程嬰の二人の父と程勃、時々韓厥の関係の描写がメインとなります。屠岸賈が元曲のような単純な悪者ではなく、程勃に対して父性を見せることも多いですし、程嬰と程勃の関係も複雑です。韓厥はなんか浪人みたいになってもーて(オイィ!)程嬰とともに屠岸賈への復讐を画策したりしてますが、ぶっちゃけ役に立ってるのかどうか分からん…<コラ;
最終的には程勃は屠岸賈を討つのですが、そこまでの登場人物たちの心の動きなどは追い切れなかったので、気になる方は劇場に足をお運びいただくか、公式サイトの読み物ページをご覧いただけば、監督が表現したかったことなどがお分かりになるのではないかと思います(自分も、映画を観終わった後で公式サイトの監督インタビューなどを読んで「そうだったのか」と思う点が少なくなかった…。韓厥には程勃の3人目の父としての性格もあるらしい…自分はほとんど看取できなかったんだけど(>_<))。
最後は程嬰の死で幕が下ります。『史記』とは異なる幕引きです。
※なお元曲は単純明快でハッピーエンドなのがテンプレなので、屠岸賈を討って程嬰も生きたままめでたしめでたしで終わってたと思います。

オリジナル強め展開での自分的見どころは、
・程嬰が絵巻物を作る<これも元曲にある。趙氏孤児を救うために死んだ人たちの話を絵巻物にまとめ、それを成長した程勃に見せて復讐させようとしていた。映画の中では結局絵巻物が程勃の復讐心喚起に使われることはなかったけど…
・ちっちゃい子程勃がちょうかわいいです。やんちゃです
・子程勃が韓厥のケツにかみつくシーンがあります(※ダジャレではない)
・浪人韓厥は程勃に嫌われているそうです…父上(程嬰)に近づく怪しい奴という認識です、韓厥(笑)。
・成長した程勃はだいぶ元気な子です…少々アホの子なのではと思うくらい元気です…。趙武は服に押しつぶされそうなほど華奢だと言われた人ですが、こっちの趙武=程勃は鎧を着こんでるシーンが多く、力を入れたらTシャツバリィィくらいできそうです。
・戦争シーンもありますが、馬の背にまたがり剣を振っての戦いです(しかも林間)。たぶん、4頭立ての戦車をいくつも並べて戦闘シーンを再現するのは危険だという判断もあったのだと思われます(監督のインタビューでも、演者の安全>考証だと言ってましたし、そもそも4頭立ての馬車を御せる人がそうそういないんだろうなぁ…)。まあ、『東周列国志』系の挿絵でも普通に人は馬にまたがって戦ってるし、いいか…<いいのか。正直、ちょっと残念でもあるんですけどねー…戦車戦見たかった(>_<)。なお、晋の敵は楚ではなく、北方異民族っぽい衣装でした。狄のイメージ? ちょっと残念な気持ちもありますが、屠岸賈が趙盾を陥れた際の朝廷での戦いなどの戦闘シーンは全般的に迫力満点でした。

あっ、本編ではなく最後のスタッフロールに凄い地雷(?)がありますよ…スタッフさんの中に「趙武」ちう名前の人がいるのですよ!!!(笑) なんとなく眺めてたらすげい見覚えのある名前が目に止まって、エエエーーー!?って感じになりました。本編では結局、程勃が趙武と呼ばれることがないまま終わるのですが…まさかそこで趙武が出てくるとは…。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 04:00 | 春秋関連

『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』

明代に成立したという『春秋列国志伝』について調べてました。で、

『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』
徳田武 編・解説  ゆまに書房  1983

なる本を見つけました。その解説に、『春秋列国志伝』について書いてあったので、それをまとめてみます。


解説で引用されている孫階第の『中国通俗小説書目』巻二清講史部によれば、『春秋列国志伝』は大別して二種類あるらしい。

1.『新刊京本春秋五覇七雄全像 列国志伝』 八巻本
▼明・万暦丙午(34年)、三台館の余象斗の重刊本
▼各巻に「後学畏斎余邵魚編集」「書林文台余象斗評釈」と題す
▼名古屋の蓬左文庫が所蔵

2.『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』 十二巻本
(以下『春秋列国志伝』と表記します)
▼明・万暦年間の刊行
▼各巻に「雲間陳継儒重校」「姑蘇キョウ[龍+共]紹山梓行」と題す
▼国立公文書館内閣文庫・北京図書館などが所蔵
ちなみに、内閣文庫の版本と北京図書館の版本は、同系統の版本であるが体裁が異なっており、朱篁なる人物の序文が北京図書館本の方にはついている。なお、北京図書館本は、万暦乙卯(43年)の刊行であるらしい。

双方、殷の紂王から秦の始皇帝までの約900年間を取り扱ったもののようです。内容がいろいろと異なっているらしい。


*   *   *


ちなみに、ゆまに書房から刊行されている、私が参照したこの本自体については以下の通り。

底本にしているのは、内閣文庫所蔵の『春秋列国志伝』十二巻本。これを影印して掲載しています。
内閣文庫本について、解説にて孫階第の『日本東京所見中国小説書目』(巻三・明清部二)を引用しており、それによればこの内閣本は、
・各巻の前に図五葉(10枚の挿絵。一葉は2ページ)がある
・最初には陳眉公の序と「列国源流総論」がある
・毎則(各章)の後には批評、毎巻の後には総批がついていて、これらの批評は行書で書かれている
・北京図書館本には万暦乙卯の朱篁の序があるが、内閣本にはない
・北京図書館本と同系統だが、北京図書館本が半葉(1ページ)11行であるのに対し、内閣本は半葉10行となっていて、版が異なる

…と、そんなところになるかと思います。


内閣文庫所蔵本の影印とともに、早稲田大学出版部刊行の『通俗廿一史』(第一・二巻)の日本語訳を掲載しています。この『通俗廿一史』は、江戸時代に清地以立(きよちいりつ)が翻訳した『通俗列国志』前・後篇を活字にしたもの。

清地以立(1663~1729)は、江戸時代の人。彼が翻訳・上梓した『通俗列国志』はどんな版本に基づいて訳してあるのかは明記してありませんが、解説によれば『春秋列国志伝』十二巻本の系統の本を底本にしたと推察されるとのこと。内閣本と同じ系統ということですね。

『通俗列国志』は、二度に分けて刊行されているとのこと。
原書『春秋列国志伝』の巻1~6の部分の訳は、『通俗列国志』25巻(題簽は「通俗周武王軍談」)として宝永元年(1704)に、巻7~12の部分の訳は、『通俗列国志呉越軍談』18巻として元禄16年(1703)に刊行されている。つまり、後半部分の方が先に世に出ているという不思議がある。

『通俗列国志』は、底本である『春秋列国志伝』を比較的忠実に訳しているようですが、部分的に加筆・修正・削除を加えているようです。それは読者のためであったり、訳者の信条から恣意的に改編したりと、いくつかの要因が考えられるようです。


*   *   *


書誌的なことはここまでにして、ゆまに書房刊の『春秋列国志伝』の方を見てみた自分の感想を…とはいえ、興味がある部分(主に鞍の戦いと鄢陵の戦いの場面)しか見てないので、これしきで感想らしき感想も書けないのですが; とりあえず見た感じをば。

春秋時代や戦国時代を扱っているので、『左伝』や『戦国策』、『史記』などの記述を多少いじっただけかと思ってページを繰っていたのですが、それどころではない史実の改変ぶりです(笑)。鞍の戦いでは、郤克が大負傷した後も暴れまわって敵を寄せ付けない強さを誇り、斉の逢丑甫(=逢丑父)を一撃で討ち取ったり(笑)、エン陵の戦いでは楚の養由基が苗賁皇の策に嵌って射殺されたりといろいろ滅茶苦茶。史書との違いを挙げ始めるときりがありません。正直噴飯ものですが、そのハチャメチャぶりには、いっそのこと面白さすら感じます。多分、他の場面もかなり史実とは異なる内容になっていると思われます。

本文上部には多少のコメントが入っており(こういうのを「眉批」と言うらしい)、本文の中にも時々小さい字で注が入ってます(割注ではなく、一行の注)。人名や地名の後によく入ってる気がします。たとえば「楚共王[焉+邑]陵大戦」という章では、苗賁皇が登場した後、彼の名の後に「越椒之子」という注が入ってます。人名や地名の後の注は、当たっていたり外れていたりで、必ずしも信用できるものではありません。郤錡に対しての注には「郤克之弟」なんて書いてありましたし(本当は郤克の子)。


…と、『春秋列国志伝』の書誌情報と簡易感想はとりあえずこんなところで。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:32 | 本めも

『おれは権現』

『おれは権現』 司馬遼太郎 講談社文庫 2005年(新装版)



戦国時代という荒れた時代に名を現した個性的な人物たちの短編集。全7編が収まってます。各編の主人公と梗概を以下に…


■愛染明王
福島正則が主人公。
桶屋の倅だった彼が橋の上で人を殺したのをきっかけに武士にならんことを志し、秀吉に仕えて武功を重ねていく。関ヶ原の戦いの前の小山会議では豊臣家の武将が徳川に附く決定的な役割を果た(すように仕向けられ)し、関ヶ原では東軍一の奮戦をして見せる。しかし、単純にして勁烈な性格を徳川方に存分に利用された後は、城普請を無断で行ったと幕府から言いがかりをつけられ、不遇の晩年を過ごす、というお話。
正則の性格の単純さは、時に鬱陶しさも感じるのですが、心の根底には優しさを持っていて、時に大げさなほどに人に好意を示すところなどには親近感が持てます。水滸伝で言えば黒旋風の李逵タイプだと思います…李逵よりヒドイこともしてますが(汗)。いい意味でも悪い意味でも単純すぎる人間の、不幸が感じられる一編。


■おれは権現
関ヶ原では福島正則の配下として武功を挙げた伝説的な武勇の持ち主である「笹の才蔵」こと可児才蔵のお話。
妾のお茂代が、才蔵が全く子を生さんとしないので、その原因を探っていく…というのが大筋になりますでしょうか…。その中で、才蔵はもともと酷く臆病だったこと、出来助という山伏に出会ったのがきっかけで豪勇に生まれ変わったことなどが分かってきます。子を生そうとしない原因も、彼のその過去の中にあります。
主人公は才蔵ですが、妾のお茂代も副主人公と言えるくらいに目立ってます。彼女の生涯の顛末にも含みがあります。


■助兵衛(すけのびょうえ)物語
宇喜多家家臣・花房助兵衛が主人公。
この話を読むと、宇喜多家の家老たちって本当にアクが強いな…というのが分かります…。秀家がどうすることもできなかったのも、秀吉没後に起きた例の宇喜多騒動(家臣が戸川派・長船派に分裂して対立した事件)で大谷吉継や榊原康政が仲介に入ってもなかなか片付かなかったのも、宜なるかな…という感じ。ちなみに助兵衛は宇喜多騒動に於いては戸川派で、秀家がかばっている長船派と決裂して、結局宇喜多家中を去って家康に属してます。
助兵衛は、主の秀家は言うまでもなく、秀吉にすら不遜な態度を見せる男だった。が、戦場に立てば功名心に燃え、その行動力は甚だしいものだった。その武功狂いの例として朝鮮出兵のときのエピソードが引かれ、剛直すぎて周囲の雰囲気を読めずに損するところも描かれてます。その点、正則に似ているかもしれません。
彼が求めるのは武功ばかりで女性に興味がなさそうなのに、女性の小指の骨らしきものを大事に懐に仕舞っていて、それをたまたま拾った吉備之助という巫女がその由来を明らかにしようとします。が、結局そこのところは謎のまま。


■覚兵衛物語
加藤清正の家臣・飯田覚兵衛の話。
加藤家家臣の覚兵衛と森本儀太夫とがまだ8つの子供だったころ、子供の喧嘩のなりゆきで、夜叉若という遊び仲間に仕えると誓いを立てた。この夜叉若が後の加藤清正で、清正が知行地を得ると、覚兵衛と儀太夫は本当に清正に仕えることになる。しかし覚兵衛は詩文を習ってはなはだこれを好んでおり、武勇で身を立てたいなどとは思っておらず、いつも武士を罷めたいと思っていた。しかし、覚兵衛自身の優れた用兵の才と武辺とが清正の要する所となり、覚兵衛はその才能によって「不幸にも」武士として清正に仕え続けることになってしまう。
「清正のせいで一生を誤った」と言い、本意ならずも加藤家の柱石となった覚兵衛ですが、本当に加藤家に未練がないかというとそうでもなく…。自分が成し遂げてきた事業と、昔からの理想、どちらが晩年の彼にとって重いものだったのか…。


■若江堤の霧
大坂の陣で戦死した若武者・木村重成のお話。
嘗て織田・柴田・宇喜多に仕えて転戦し、関ヶ原の戦いの後は隠居して連歌を教えていた薬師寺閑斎は、大坂方主力と期待されている木村重成の助言役を頼まれる。閑斎は重成をよく知らなかったが、妾に聞くと、大坂のおなごであれば重成を知らぬ者はいないという。実際会ってみると、確かに容姿涼やかな青年であるが、礼儀正しく、詩文や兵書にも親しみがあり己を知っている。閑斎も、彼には将器があると感心する。その若さには不釣り合いなほどの胆力を持ち、死後はその劇的な生涯から人々の記憶に残り続けた青年にとっての大坂の陣が描かれてます。
この話の前半には、重成の名しか出ておらず、彼が登場するのは中盤から。大坂の陣で閃光のごとくはかなく鮮烈に散った青年を、淡々と、しかし彼の性格の要点を抑えつつ描いている印象です。


■信九郎物語
長曾我部元親の庶子にして、盛親の異母弟である信九郎康豊のお話。
幼い頃、母に連れられて摂津の村落に来て、農家の子として育った。その元服の際に、自分が長曾我部元親の子であることを初めて教えられる。その後もしばらく、長曾我部の血を引くことを隠したまま村で暮らしていたが、母と祖父が自分を出家させようとしていることを知り、いっそ武士となろうと志すようになる。牢人が集まるという近くのほろほろ(虚無僧)の寺で、関ヶ原の戦いでは西軍大谷隊で小部隊も率いた野添勘兵衛という老僧と懇意になり、兵法や武芸を身につける。後、信九郎の存在を知った大野治長の使者が、家康との決戦のために彼の出馬を請いに来た。信九郎は、勘兵衛ら数人の牢人を引き連れて大坂城に入り、生き別れた兄・盛親との再会を果たす。敗北必至の戦いで、各々が各々の信念を持って進退を決めていきます。
信九郎の生き様は、兄に出会うところまではほとんど義経と同じ。大坂城に入った後の彼ら主従もまた義経にそっくりです。重成のような死者の数奇もありますが、生き残った者の数奇をここに見ることができます。


■けろりの道頓
かの有名な「道頓堀」を掘った安井道頓の話。その生涯についての記録はほとんど残っていないそうで、このお話も司馬さんの創作部分が多いのでしょうか…。詳しくないのでそこのところは分かりません。
道頓はふしぎな人物で、顔つきは英傑然としているのに、いつもぼーっとしていて何を考えているのかよく分からない。従弟の道卜が見るに、志さえ持っていれば天下を取れるのではないかと思えるほどの器を持ち合わせているのに、全く欲がなく大身の百姓という立場で満足し、街で秀吉に話しかけられただけでもはしゃいでしまう。また、何事に対してもけろりと無頓着のようで、手塩にかけて育てた妾を秀吉に所望されたときも、一度顔をしかめただけで献上してしまう。愚直ともいえる人の良さを持ち、街で声をかけてくれた秀吉に対して、百姓の立場から無償の忠義を貫いた市井の人の話です。
器が小さいのに志ばかりが大きくて、結果的に身を滅ぼす人物は古来少なくないですが、その逆で、器が大きいのに欲を持たずに自らの立場に満足したのが道頓でしょうか。


取り上げられた人物たちは、平穏な世であれば、馬鹿にされたり爪弾きにされるようなあくの強い人物たちが多いです。戦国という波乱の時代が、彼らの名を今に残したといえるんじゃないでしょうか。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:31 | 本めも

「大谷刑部」「茶漬三略」

「大谷刑部」/「茶漬三略」  吉川英治



吉川さんに大谷さんを扱った短編があると聞き、図書館で全集を借りてきました。
戦国の有名人が多数登場する短編は、とりあえず上記の二編を見つけました。
文庫でしたら、ともに講談社の吉川英治歴史時代文庫の『柳生月影抄』に入っているようです。



■「大谷刑部」

言うまでもなく、大谷吉継が主役。家康が会津の上杉討伐に向かったあたりから、関ヶ原の戦いまでを、吉継中心に描いています。上杉討伐にむけて諸将がバタバタと兵を会津に向ける中、吉継の乳母の娘(創作の人物と思われます)が登場し、吉継が好きだった菓子を、垂井に宿営する彼に届ける場面から話が始まります。

吉継の癩病の症状の描写が細かいです。乳母の娘は、彼女の目を通して吉継の病状を描写するためにに登場しているような印象を受けました。癩病の症状がいかなるものなのか知らないのですが、この描写を見ていると背筋が寒くなります…。でもそれ故に、そんな病状にも関わらず隔意なく接する三成の優しさがより強くなるような気がします。

三成の子を引き取るため垂井に宿営する吉継のもとに、三成の使者が訪ねてくる。使者は三成の子は連れず、大事な話があるからと、三成の居城・佐和山城への来訪を求める。三成は吉継を迎えると、その病状の悪化に心を痛めつつも、家康討伐の大挙を打ち明け、吉継の参画を求める。吉継は三成の計画を無謀だと諫めるが、三成に勧められた茶の香りに、過去に茶会でしでかしてしまった自分の大失態を三成がかばってくれたことを思い出して、三成と生死を共にする覚悟を固める。ここの佐和山での三成とのやりとりが、この一編のメインになるかと思います。
関ヶ原の戦いでは、結局小早川秀秋の裏切りで大谷隊は壊滅、吉継の最期で話の幕は閉じます。関ヶ原の戦いの描写の方はけっこうあっさりしてます。

感想は…やっぱり三成は馬鹿正直で、刑部は義理堅いいい友だなぁ、と言う感じ。自分の安っぽい感想ではそんなことしか言えなくてすみません…; 吉継が病に冒される前の姿を知っているが故に、佐和山で久しぶりに出会った吉継に、もう目も見えずお前の笑う顔も見られぬ、と言われて愕然とする三成に、優しさが感じられてよいです。

あと、話の筋とは関係ないのですが…関ヶ原の戦いの最中、西軍に与して動くよう秀秋に使者を送る武将の中に、小早川隆景の名前があったのですが…たぶん小西行長と間違ったんですよね…ちょっとびっくりした。でも、巷説の中には、そういう伝承もあるのかも…と思ったりするのですがどうなんでしょう。詳しくないので分からんです;
あと、宇喜多さんの名前の表記は「浮田」の方になってました。チョイ役で左近も出てきます。ほんとにチョイです…。関ヶ原に参戦する西軍・東軍諸将の名もちらほら。


■茶漬三略

主人公は柾木孫平治という男。羽柴秀吉・明智光秀が登場する短編です。
孫平治の視点からほぼ全編が語られてます。孫平治が牢獄の中で猿(後の秀吉)に会って悪事から足を洗い、美濃の斎藤家の骨肉の争い、はたまた主と仰いでいた光秀の裏切りを目にし、その悪行に耐えきれなくなって、ついに猿――つまり羽柴秀吉に必死の思いで身を投じるのが話の骨子でしょうか…。歴史上のできごとでいえば、秀吉が毛利方の清水宗治の自刃を条件に毛利と和議を結び、大返しをして姫路城に入り、これから光秀を討つ、というところで終わってます。
孫平治という男の視点で、秀吉の性格の健康さを描いている、という感じの一編でしょうか。
チョイ役で、細川藤孝(幽斎)や安国寺恵瓊も顔を出します。



吉川さんの本は大好きなのです。歴史に強い興味を持つようになったのは吉川さんの『新・平家物語』がきっかけだし、三国志に足を踏み入れたのも、吉川さんの『三国志』が最初のきっかけだし…。しかし、まさか今になってもこんなにどっぷり三国志にはまることになろうとは思ってませんでした(笑)。短編は今まで読んだことがなくてちょっと新鮮でした。個人的には…長編の方が好きかも(コラ)。吉川さんの描く関ヶ原も見てみたかったな、と…。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:30 | 本めも

『墨攻』

『墨攻』 酒見賢一


主人公は、墨家の革離。趙の侵攻にさらされた梁という小城を「墨守」すべく、墨家の指導者(「巨子」(くし)と呼ばれる)の田襄子に派遣されてきた。
この革離が、城内の民を指導し、巷淹中将軍率いる趙の2万の大軍と戦うというのがあらすじ。

この革離の守り方がとにかくすごい。10倍以上の兵力を持つ趙軍を寄せつけず、女子供老人を含めた民数千人で迎撃するという…。
ただ、この革離の守り方…というか、民の統率の仕方が…なんだかものすごく違和感…。
墨家というと、「兼愛」を唱えてるのですが、あの革離の統率には「兼愛」という人間への情がないというか…まるで兵家か法家のような信賞必罰…。きまりを破ったものは容赦なく斬るし、革離自身もみずから手を下して人を殺す場面もあるし…これが「兼愛」…? 革離自身も、これを指摘されて答えられなかったし…。
革離の敵である梁適・巷淹中の革離(というか墨家)批判に、時々納得してしまうのです。墨家はこの世から滅した方がいい、とか…私もなんとなくそう思ってしまった。

「非攻」主義ゆえ攻めずに守り、攻めをほしいままにする大国から、攻め込まれる小国を守るんだけど…小国を「墨守」するたびに、城中の兵力を底まで消耗し、敵兵を多数殺傷し、しかも城の民衆に墨家の神がかった守城術を見せ付けて心を掴む。
小国を守り続けるから、天下が統一されて泰平が訪れることもない。またそれを墨家は望んでいるのかもしれない…城を守る機会がなければ、墨家は力を表現できないんだから。こうしていけば、墨家が天下を掴むのも夢の中の話ではないのかも…小説の中でも、田巨子はそんなことを考えていたようだし。

この頃の墨家の思想は、始祖である墨子のものとは換骨奪胎してるような感じがしました…墨家の思想についてたいして知らない奴が言えた台詞ではないのですが。でも革離のしてることは「非攻」でも「兼愛」でもない。守ることで敵を殺し、味方の心を掌握する、タイトル通りの「墨攻」だと思った。
確かに、身を粉にして働き、その姿を人々から尊敬されている革離はすごい人だと思うのです。ただ、その思想がなにか違うな…という感じがしました。

以上、個人的な感想。
あと、この小説の中で「魏が、趙の都市・邯鄲を包囲する」という話がありますが、史記の趙世家・魏世家によると、BC354にそんなことが実際あったようです。この時、斉の孫ピン(孫子)が「囲魏救趙」の計を使って、魏の包囲を解いたんでしたっけ…(うろ覚え)。でも、それくらいの時期の話だと想定してよさそうな気がします。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:29 | 本めも

黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。


by huangque

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ

全体
about
三国関連
司馬晋関連
春秋関連
中国史以外(日本史)
ネタバレ用(無双)
本めも
■日記

メモ帳

検索

以前の記事

2018年 09月
2018年 07月
2018年 04月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 01月
2006年 01月
2005年 12月
2001年 01月

記事ランキング

画像一覧