元曲「趙氏孤児」【第三折】

引き続き元曲「趙氏孤児」第三折のあらすじを。
今までも、趙朔・公主・韓厥が次々自害して激しい展開でしたが、第三折がいちばん過激な気がします…。屠岸賈が鬼畜です。血も涙もないです。
そして、この劇一番のクライマックスの幕だと思います。殊に後半は…。

さて第二折では、趙氏孤児を救うため、命がけの策を考え出した程嬰と公孫杵臼。
第三折では、その策がついに実行に移されます。


*   *   *

「趙氏孤児大報仇」紀君祥・作

【第三折】
登場人物:
 公孫杵臼(正末)
 程嬰
 屠岸賈


公孫杵臼に我が子を渡し、策の詳細を打ち合わせて帰ってきた程嬰。
その翌日、程嬰は屠岸賈の役所の門を敲き、「趙氏孤児の居場所を知っています」と告げる。
趙氏孤児が見つからず、国中の嬰児を殺すぞと息巻いていた屠岸賈は、その報告を聞いて早速程嬰と面会する。

屠岸賈に趙氏孤児の居場所を問われた程嬰は、「公孫杵臼が匿っております」と答える。
が、屠岸賈は「嘘を言え!! 貴様と杵臼には何の恨みもないのに、杵臼を密告する筈があるか!? 嘘ならば利剣で貴様を斬り捨てるぞ!」と食って掛かる(←案外読みが鋭い屠岸賈)。
程嬰の方は冷静に答える。
「私と杵臼には何の恨みもありません。が、私には生まれたばかりの子がおります。元帥(屠岸賈)は、趙氏孤児が見つからなければ国中の嬰児を殺すと命じられました。我が子と、晋の嬰児たちを守るため、孤児の居場所をお知らせしたのです」
その理由に納得し、かつ趙盾と昵懇だった杵臼ならば趙氏孤児を匿うこともありうる…と思った屠岸賈は、程嬰の言葉を信じ、部下を従え程嬰を引き連れて公孫杵臼のいる太平荘に急行する。

屠岸賈は、太平荘に着くと、早速公孫杵臼を捕らえて自白を迫る。しかし、公孫杵臼は「孤児とはどの孤児ですか?」としらばっくれて見せる。棒打ちにして拷問しても杵臼が口を割らないので、屠岸賈は程嬰に命じて杵臼を打たせる(非道だ屠岸賈っ…!)。
程嬰は「私は医者ですのでそんなことは…」と最初はためらうが、ここで屠岸賈に疑われる訳にはいかず、棒を執って公孫杵臼を打つ。杵臼は程嬰を罵りつつ、ついに自供を始める。しかし、程嬰がこの件にからんでいることだけは白状しない。

屠岸賈・程嬰・杵臼がごたごたしているうちに、屠岸賈の部下がついに趙氏孤児(=本当は程嬰の子。第二折参照)を見つけ出す。屠岸賈は笑い、自らの剣で「趙氏孤児」を斬り殺す。程嬰も思わず心痛を表に出し、涙を流す。
悲嘆した公孫杵臼は、屠岸賈を罵り、階段に頭を打ち付けて自害する。

ついに趙氏孤児を殺し、後顧の憂いを絶った屠岸賈は、これは程嬰の功であると褒め、程嬰を客分としてもてなし、その子をともに育てることにする。

(以上)

*   *   *

…もちろん、最後に出てきた「程嬰の子」こそ、本物の趙氏孤児です。つまり、仇の下で育てられることになったんですね。
次の幕の第四折は、この事件から20年後、趙氏孤児が大人になった後になります。趙朔・公主・韓厥・公孫杵臼、そして程嬰が命を懸けて守った趙氏孤児は、一族の敵である屠岸賈――仇であり、育ての親――を討つことができるのか。

第三折は、「趙氏孤児」(程嬰の子)が屠岸賈に斬り殺されるあたりがいちばんのクライマックスかと思います。その場面には程嬰の台詞はなく、程嬰のしぐさ――心痛するしぐさとか、涙を流して顔を覆うしぐさとか――だけが書き込まれてます。それがまた、目の前で子を斬り殺された父の心の痛みを感じさせるというか…。
拷問をこらえて、最後には自害する公孫杵臼も壮絶ですね…。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:17 | 本めも

元曲「趙氏孤児」【第二折】

引き続き、元曲「趙氏孤児」第二折。
公主から趙氏孤児を託された程嬰が、韓厥の助力を得て趙氏孤児を宮殿から逃して…の続きになりますね。

この幕には公孫杵臼が登場~! 杵臼がこの幕の主人公です。
程嬰と公孫杵臼が、趙氏孤児を救うため策を練る場面です。


*   *   *

「趙氏孤児大報仇」紀君祥・作

【第二折】
登場人物:
 公孫杵臼(正末)
 程嬰
 屠岸賈

さて、屠岸賈。
いつになっても趙氏孤児が送られてこないので、どうも安心できない。そこで部下に様子を見に行かせると、なんと宮殿では公主が首を吊り、門では韓厥が自刎して果てているという。

韓厥が趙氏孤児を見逃したな…と考えた屠岸賈は、すぐさま次の手を打つ。
すなわち、晋の国中の、生まれて6ヶ月以下・1ヶ月以上の赤ちゃんを全員逮捕して斬って捨てれば、その中に趙氏孤児がいるはずだから、孤児を殺すことができると考えたのだ(血も涙もありません屠岸賈)。
屠岸賈は、赤ちゃんを差し出せという命令を下し、これに逆らう者は一族皆殺しだ!と脅し文句を加えて国中に発布する。

さて、場面は太平荘という地に移る。
ここには公孫杵臼が住んでいる。
公孫杵臼は、趙盾とともに霊公に仕えて中大夫になった、かつての晋の重鎮だった(という設定です)。歳を取り、また屠岸賈が朝廷を牛耳っているのを憎んで、朝廷を去って野に下り、自適の生活を送っていた。そこに程嬰がやってくる。

屠岸賈が赤ちゃんを集めて皆殺しにしようとしていることを知った程嬰は困り果てていた。そこで思い当たったのが公孫杵臼だった。
公孫杵臼は趙盾と友誼があり、なおかつ忠直な人柄。彼ならば、趙盾の孫である趙氏孤児を匿ってくれると考えたのである。

早速程嬰は公孫杵臼に今までの経緯を説明し、趙氏孤児を彼に見せる。そして、自らが考えた趙氏孤児救出の策を公孫杵臼に説明する。

程嬰の策はこうだ。
実は、程嬰にも生まれて間もない赤ちゃんがいた。
そこで、自分の子を趙氏孤児だといつわって、公孫杵臼には「程嬰が趙氏孤児を匿っています」と屠岸賈に密告してもらう。そうして父子ともども殺されたなら、趙氏孤児を葬ったと思い込んだ屠岸賈は安心し、これ以上の追及はするまい。本物の趙氏孤児は公孫杵臼にかくまってもらい、密かに育て上げて欲しい――という策である。
趙朔への恩を返し、かつ晋の国中の赤ちゃんたちを救うためにはこれしかない、というのが程嬰の結論。

しかし、公孫杵臼は「趙氏孤児を育てるのはお前のすべき役目、お前の赤ちゃんを私に託してもらい、お前の赤ちゃんと私が一緒に死ぬことにしよう」と、先に死ぬのは自分がよい、と言う。
というのも、公孫杵臼は70歳。趙氏孤児が成人し、仇を取れるようになるのが20年後と見積もると、その時には90歳ということになる。その時まで自分が生きていられる自信がない。
一方の程嬰の方はまだ45歳で、20年経ったとしてもまだ65歳である。きっと趙氏孤児を育て上げることができるであろう。それを考えると、程嬰に趙氏孤児を匿ってもらい、自分が先に死んだ方がいい。これが公孫杵臼の考え。

程嬰は、公孫杵臼を巻き込んで死なせてしまうことをためらい、また公孫杵臼が屠岸賈に問い詰められて「程嬰が趙氏孤児を匿っている」と白状したりしないかと不安で(←公主や韓厥の時と同様、疑り深いというか慎重な程嬰…)、公孫杵臼の策になかなか乗らない。しかし公孫杵臼は、「私は、一度“うん”と言ったら必ず守る。安心せよ」と言って程嬰を説き伏せる。歳を取って、いつ死んでもおかしくないのだから、この命はいつ捨ててもかまわない――公孫杵臼はそう言う。

程嬰は、公孫杵臼を巻き込んだことを悪く思うが、ついに折れて、自分の子を公孫杵臼に託し、趙氏孤児を自らの家に匿う。

(以上)

*   *   *

趙氏孤児を守り通すため、最初は程嬰が自分の命を捨てるつもりだったけど、年老いた公孫杵臼がその役を引き受けることにした…という筋ですね。
自分の命を擲つ公孫杵臼も悲壮ですが、自分の子を犠牲にしてまで趙氏孤児を生かそうとする程嬰もまた悲壮ですね…。
さて、二人の壮絶な策は当たるのかどうか。そのあたりは第三折にて。


あと、最後に超個人的メモ。

趙氏孤児(末本=正末劇) 1楔子、5折構成
『元刊雑劇三十種』『元曲選』『古今名劇合選ライ江集』(孟称舜)に現存。
『元刊雑劇三十種』のみ、1楔子4折。『元曲選』等における第五折を欠く。(むしろ、当初は1楔子4折で、後世第五折が加えられた、と言うべきか…。)『元刊雑劇三十種』は、曲牌のみ現存。ト書きは殆どなく、あらすじははっきりしない。
また、『元刊雑劇三十種』とその他のテキストでは、曲牌にだいぶ相違があるらしい。
明になると、徐元が伝奇「八義図」に再構成し、また清末には同様の題材で京劇「八義記」が作られている。らしい。
以上、主に『元曲大辞典』(李修生主編、江蘇古籍出版社)に拠る。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:16 | 本めも

元曲「趙氏孤児」【第一折】

さて、楔子に引き続き「趙氏孤児」の第一折です。

てか、ネサフして調べてみたら、「趙氏孤児」って京劇に残ってて今でも上演されてるらしい。
ストーリーは多少違うみたいですが、ほぼ元の頃と変わらないストーリーのようで…すごいなぁ。
それだけでなく、ヨーロッパにまで渡ってるらしい、この劇。す、すげー…(笑)。『元曲選校注』の注によると、ヴォルテール(伏爾泰)が手がけた劇だか本があるらしい。

では、以下に第一折のあらすじを。韓厥ファンの方はいささかショック受けるかも(笑)。
ちなみに登場人物のおさらいですが、
屠岸賈=趙盾の一族を皆殺しにした悪役大臣
趙盾=晋の大臣。屠岸賈に殺されかけてどこかに逃亡
趙朔=趙盾の子
趙氏孤児=趙朔の子
公主=趙朔の妻。

*   *   *

「趙氏孤児大報仇」紀君祥・作

【第一折】
登場人物:
 韓厥(正末 :主役のこと)
 程嬰(外)
 屠岸賈
 公主

趙朔の妻の公主は、宮殿で男の子を産み、趙朔の遺言どおり趙氏孤児と名づけた。しかし、偵察の手をゆるめていない屠岸賈にばれてしまう。屠岸賈は、「まあ一月後に趙氏孤児を殺しても遅くはあるまい」と言って(←突如ゆるゆるな屠岸賈/笑)、公主の宮殿を「下将軍」の韓厥に警備させ(ただの門番です韓厥…笑)、もし趙氏孤児を逃がす者がいたら九族皆殺しにする、という告知の張り紙をした。

公主は男子を産んだものの、このままでは屠岸賈の手にかかってしまう。そこで公主は程嬰を呼ぶ。程嬰は在野の医者で、趙朔の門下で優遇されていた。程嬰は趙朔の家族ではなかったため、屠岸賈による族殺からのがれて生きていた。
程嬰は、公主の産後の処方のために呼ばれたのだろうか、と思いつつ、公主に面会する。

程嬰が公主から頼まれたのは、「趙氏孤児を救い出して欲しい」ということだった。しかし、趙氏孤児を逃せば一族皆殺しである。程嬰は、無事に趙氏孤児を逃がす手立てが浮かばず迷うが、公主の必死の頼み込みを受けて、趙氏孤児を逃がすことを決意する。
しかし程嬰は、もし私が趙氏孤児を逃がしても、屠岸賈に詰問されたあなたは「程嬰が逃がしました」と言いはしませんか?と公主に確認する。公主は、決してそんなことはないと、その場で首を吊って死んでしまう。(結構唐突で過激な展開…)
程嬰は意を決し、薬箱の中に趙氏孤児を隠して外に向かう。

門口では、下将軍の韓厥が部下とともに警備をしていた。
(韓厥は下軍の将だった時期があり、それが転じて「下将軍」となったものと思われます。)
そこに、慌てた程嬰が駆け出してくる(慌てるな程嬰…!笑)。勿論韓厥は程嬰を咎めた。
韓厥が「その箱の中には何が入っているのか?」と問うと、程嬰は「薬です。他のものは何もありません」と答える。
しかし、程嬰が趙氏から篤い恩を蒙っていることを知っている韓厥はなかなか疑いを解かない。しかし韓厥も趙盾に恩があり、屠岸賈の人物を嫌っている。

韓厥は、「俺が呼ぶまで来るなよ」と部下を退け、程嬰の持っている薬箱を開けた。
韓厥「お前の薬箱の中に『人』参も見つけたぞ!」(←気の利いた洒落だ…)
程嬰はびっくりして跪き、今までの経緯を切々と韓厥に訴える。
義侠心に篤い韓厥は、程嬰の訴えを聞き、程嬰と趙氏孤児を逃がすことにする。
程嬰は韓厥に感謝するが、韓厥がこのことを屠岸賈に告げはしないかと危惧を漏らす。
韓厥は、「安心せよ、お前は趙氏孤児を守り育てよ」と言い、その場で自刎(またも唐突に激しい展開…)。

程嬰は韓厥の義心に感謝しつつ、役人に見つからないうちに「太平荘」目指して逃走する。
(以上)

*   *   *

この幕の主役は韓厥! なのにこんなに早く死んでしまうとはー…! 義の人ですっごく好感持てるのですが、…で、でももうちょっと出てきてほしかったり、も。
あと、韓厥の洒落(?)に出てくる「人参(ren2shen1)」は、訛ると「人身(ren2shen1)」と聞こえるらしい(注によると)。現代中国語だと全く同じ発音。下手すればバレバレの危険な洒落ですな…。

元曲では、主役は1劇(4幕)通して一人の人物であるのが基本ですが、幕ごとに変わる場合もよくあります。ただ、主役となる人物は変わっても、主役の性別が変わることだけは滅多にないらしい。(と、どうでもいい予備知識。)
第一折の主役である韓厥はここで死んでしまったため、当然次の幕から主役が変わります。

さて、程嬰の逃れていった「太平荘」には公孫杵臼がいます。それだけは読みましたがその後は相変わらずまだ読んでません(笑)。まだ先が長いな…!
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:15 | 本めも

元曲「趙氏孤児」【楔子】

さて、ブログにメモします!と宣言しながら全然書いてなかったので(汗)、まずは「趙氏孤児」という戯曲のあらすじのご紹介を胡散臭くやってみたいと思います(…)。
…本当、元曲のテキストは尋常でなく読みづらい! 読めない部分に関しては、「多分こうだろう」という推測も交えてますので(おい)あしからず…あくまで参考までに。


本題に入る前に、「元曲」のご紹介を軽く。
元曲は、元代に隆盛した演劇のことです。
4幕で完結するのが基本形。幕数を数えるときは「折」という単位を使い、たとえば第一幕は「第一折」といいます。
4幕で収まらない場合は、「楔子(せっし)」という補助幕を挿入することが許されています。このスレッドでご紹介するのは、この「楔子」です。
私も今元曲について地道に調べてるところでたいした知識がなくて申し訳ないのですが、そんな感じだと思います。

ちなみに、テキストは『元曲選校注』(王学奇・主編/河北教育出版社)に入っている「趙氏孤児」を参照します。形式は、楔子1幕、折数は5、と、元曲の基本形からちょっと外れてます。


…と、前置きが長くなりました(汗)。
では、元曲「趙氏孤児」の楔子のあらすじを下に。
宮城谷さんの「月下の彦士」をお読みの方は「えぇ!?」と思う点多数かと…(笑)。
*薄い文字は超個人的メモなのでお気になさらず…笑

  *   *   *

「趙氏孤児大報仇」紀君祥・作
題目:公孫杵臼恥堪問
正名:趙氏孤児大報仇
簡名:趙氏孤児

【楔子】
登場人物:
 屠岸賈(浄)
 趙朔(冲末)
 公主(旦)←趙朔の妻。霊公の娘(ということになってます)

(楔子は、屠岸賈のモノローグがほとんど。屠岸賈が趙朔に死を与えるまでのいきさつを、屠岸賈自身が延々と語ってます。)

屠岸賈は、晋の「大将」を務めている。
君主・霊公の下の文武の諸官の中で、武に関しては屠岸賈、文に関しては趙盾(ちょうとん)が、最も主の信頼を受けている。(←趙盾が霊公、すなわち夷皐に信頼されてる…という時点で「えぇ!?」な設定です…笑。今後もそんなのがいっぱい出てきます)。しかし、屠岸賈と趙盾は不仲で、屠岸賈は何度も趙盾を亡き者にしようとした。

ある時は、刺客のショ【金+且】ゲイ【鹿+兒】を差し向けて趙盾を殺させようとしたが、ショゲイは樹に頭を打ちつけて死んでしまった。

またある時は、霊公から賜った神ゴウ【敖+犬】という猛犬に、趙盾と同じ衣装をつけた人形に咬みつくよう100日間も訓練し、霊公の御前で「この犬は讒臣に咬みつきます」と言って放った。訓練されたとおり、犬はその場にいた趙盾に襲い掛かったが、「殿前太尉」の提弥明が犬を撲殺し、また趙盾に恩を持つ霊輒(れいちょう)という人物によって、趙盾は馬車で逃げ去ることができた。
趙盾は逃げのびることができたが、犬に咬みつかれそうになったため「讒臣」とされ、屠岸賈は趙盾の一族郎党を皆殺しにした。

ただ、趙盾の子・趙朔だけは、霊公の公主(娘)を娶った駙馬都尉である(主君の一族に連なっている)ので、手を下せなかった。

そこで屠岸賈は、偽の命令書をでっちあげ、弓の弦・薬の入った酒・短刀の3つの物を使者に持たせて趙朔を責めることにした。(つまり、讒臣の一味として、弓の弦で首を吊るか、毒薬の入った酒をあおぐか、短刀で自刃するか、好きな方法で自殺せよ、ということ。「弓の弦」でどう死ぬのかいまいち判然としないけど…やっぱ自縊かな。)

一族を殺され、自らの死を悟った趙朔は、妻の公主に向かって言った。
「おまえは子を宿している。生まれたのが女の子だったらそれまでだが、男の子であれば、『趙氏孤児』と名づけ、成長するまで待って、親の仇を討たせるように…」
屠岸賈が差し向けた使者に面会した趙朔は、短刀で自殺した。
嘆き悲しむ妻の公主は、宮殿の中に閉じ込められることになってしまった。
(以上)

  *   *   *

…と、楔子はこんな感じです。

趙盾を殺そうとしたのは、歴史書に拠れば霊公なのですが、屠岸賈を悪人に仕立てるためにみんな屠岸賈がやったことになってます。
他にも、趙盾が逃げ去って戻ってこないとか、霊公が殺されないとか、霊公の娘が趙朔の妻だとか(ほんとは霊公の叔父の娘が趙朔の妻)、ツッこみはじめればきりがないくらい「えぇ!?」な場面があります。
この後、韓厥や程嬰も出てきますー。…って、実は私もまだ最後まで読んでなくてあらすじ知りません(笑)<っておい!
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:14 | 本めも

『史記』小事典・世家編

『「史記」小事典』 久米旺生・丹羽隼兵・竹内良雄編 徳間文庫 2006


なんとなく読み始めてしまいました。司馬遷の『史記』の超ダイジェスト版。
史記…読んでみたいとは思うのですが、どうも敷居が高くて読めないので(春秋戦国ってごちゃごちゃしてていまいち分からんのです)、この一冊を買って、史記の雰囲気だけでも味わいたいな…と。
高島さんの『中国の大盗賊』のメモはまた後日…。史記の世家のメモを先に取ります。

「世家」というのは…自分でもいまいちよく分かっておらんです(苦笑)。手持ちの『漢語林』の説明では、「諸侯や王の事跡を述べた編」。
その中でも、春秋戦国の列国の起源が前々から気になっていたので、こちらにちょいちょいメモしときます。
では、この本に載ってる順に…
(姓と爵位については、春秋戦国史さまの記載を参考にさせていただいてます)

■呉≪姫姓/子爵≫
周の古公亶父の長男・太伯と次男・仲雍が、末弟・季歴に位を譲るために出奔して建国(ちなみに、季歴の子が周の文王)。それから数えて19代目が寿夢。その孫が公子光、すなわち闔閭。夫差の代に、越によって滅ぶ。

■斉(呂氏。斉太公世家)≪姜姓/侯爵≫
斉は、周の建国に功あった太公望(呂尚)の流れの呂氏の時代と、呂氏を倒して立った田氏の時代に分かれるが、そのうち呂氏の時代の歴史を収める。(田氏の斉については別に「田敬仲完世家」項目がある。)
呂氏の斉は、太公望呂尚がここに封じられて始まる。最も盛んだった時期が、桓公の時代。その後は家臣の力に圧倒され、田常が簡公を弑殺、その孫の田和が康公を海辺の地に遷し、康公の死によって、斉は田氏のものとなる。

■魯≪姫姓/侯爵≫
開祖は周の武王の弟・周公旦。実質的に魯の地に赴任してきたのは、周公旦の子・伯禽で、実質上の初代魯君となる。
周辺の楚・斉・晋などの列強に脅かされ、さらに三桓(魯の桓公の流れを汲む孟孫氏・叔孫氏・季孫氏)が強力で、君主の権力は不安定だった。BC249年に楚に滅ぼされる。

■燕≪キツ[女+吉]姓or姫姓/(公爵→)伯爵≫
開祖は召公セキ【百+大+百】。姓は姫氏。43代続き、王喜のときに秦に滅ぼされた。

■管≪姫姓/―≫・蔡≪姫姓/侯爵≫・曹≪姫姓/伯爵≫
どれも、武王の弟が封ぜられた国。管は周公旦に対して反乱を起こして一代で滅び、蔡・曹も小国だった。

■陳≪キ[女+為]姓/侯爵≫
舜の子孫の国。
厲公の子である敬仲完(陳完。のち田完と姓を変える)は、内紛を避けて斉に逃げた。この敬仲完の子孫が呂氏の斉を滅ぼして田氏の斉を建てることになる(→田敬仲完世家)。

■杞≪ジ[女+以]姓/侯爵≫
「杞憂」で知られる小国。禹の子孫の国。

■衛≪姫姓/侯爵≫
周の武王の同母弟・康叔が始祖。暗君が続いて内紛も絶えない国だった。

■宋≪子姓/公爵≫
殷の紂王の庶兄・微子が始祖。盛んだったのは「宋襄の仁」で知られる襄公の頃。BC286、斉・魏・楚に滅ぼされ、その地は三分された。

■晋≪姫姓/侯爵≫
始祖は、周の武王の子・唐叔虞。唐叔の子の代に国号を晋とした(その前は「唐」)。文公(重耳)の頃に勢い盛んになるが、その後は家臣の力が強まり、BC376に趙・魏・韓に三分される。

■楚≪羋姓/子爵≫
楚の先祖は、黄帝の孫・顓頊(せんぎょく)。周の成王のときに楚に封ぜられる。春秋時代、荘王が「鼎の軽重を問う」ほどの勢いを持っていた時期もあったが、戦国時代の懐王の頃、秦の張儀の策に弄ばれて一気に弱体化、BC223に秦によって滅ぼされた。

■越(越王勾践世家)≪ジ[女+以]姓/子爵≫
越王勾践は、禹の末裔だと言われている。この巻の大半は、句践に仕えた名臣・范蠡のために割かれているらしい。

■鄭≪姫姓/伯爵≫
始祖は、周の第11代・宣王の庶弟。他の国と比べると新しい国みたいですね。BC375、韓に併呑された。

■趙≪嬴姓/―≫
顓頊の後裔。その流れにある殷の蜚廉に二人の子があり、兄の悪来が秦の先祖、弟の季勝が趙の先祖に当たる。
季勝の曾孫・造父は周の成王の御者となり、功あって趙城を賜り、以後趙氏を名乗る。造父から7代後の叔帯が、周の幽王の無道を厭って晋に行った。
趙簡子の時に、晋の有力者である中行氏・范氏を追放し、その子の趙襄子のときに知伯を破って、魏氏・韓氏とともに晋を三分して趙を建国した。

■魏≪姫姓/―≫
魏の先祖は、周の文王の子・畢公高(ということは、武王や周公旦の兄弟か…)。武王が殷の紂王を討った後、畢に封ぜられて姓を畢とするが、その子孫は一度庶民にまで落ちぶれる。
畢万という者が晋の献公に仕え、魏に封ぜられた。畢万の孫・魏武子は、重耳(文公)の亡命に随行している。その子孫の魏桓子のときに、趙・韓とともに晋を三分した。

■韓≪姫姓/―≫
姓は姫氏で、周と同じ。その後裔が晋に仕えて韓原に封ぜられ、韓武子と言われるようになる。

■斉(田氏。田敬仲完世家)≪キ[女+為]姓/―≫
こちらは田氏の斉。
陳の厲公の子である陳完(諡を敬仲)は、国の内紛から逃れるために斉に行った。斉に来て以降、陳完は田氏を名乗る。この子孫が後に呂氏の斉を乗っ取り、田氏の斉を建てる。
田完から6代後の田乞は巧みに人心を掴み、晏嬰をして「斉は田氏のものとなろう」と言わしめる。乞の子・田常は簡公を弑し、その弟を立てて自らは宰相の地位に就いた。常から4代後の田和が周から諸侯として認められ、田斉最初の侯となる。三代目の威王の頃、人材を集めて国力を強化し、「王」を名乗った。

春秋戦国時代で、世家に入っている国はこんなところでしょうか…。
ちなみに秦は、世家ではなく本紀に入っています。本紀とは「帝王の事跡を記した」(漢語林)部分。秦は中華を統一してるので、他の国より格上の扱いなんですね。

始祖・先祖によって分類すると…
●周と同じ姓(姫姓)の国:
呉(太伯・仲雍)
魯(周公旦)
燕(召公セキ)
管(周武王次弟・叔鮮)
蔡(周武王四弟・叔度)
曹(周武王五弟・叔振鐸)
衛(周武王八弟・康叔)
晋(周武王の子・唐叔虞)
鄭(周宣王の弟・桓公)
魏(周文王の子・畢公高)
韓(姓は姫らしい)
●周と異なる姓の国:
斉(太公望/姜姓)
斉(田完。陳の流れを汲むので、舜の子孫と考えていいか)
陳(舜/キ[女+為]姓)
越(禹/ジ[女+以]姓)
杞(禹/ジ[女+以]姓)
宋(殷の微子/子姓)
楚(顓頊/ビ姓)
趙(顓頊―季勝/エイ姓)
秦(顓頊―悪来/エイ姓)
ちなみに禹は顓頊の孫(夏本紀による)。
[PR]
# by huangque | 2005-12-22 03:11 | 本めも

黄雀楼の日記です。三国・春秋語りや無双ネタバレトークなどもあります。


by huangque

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ

全体
about
三国関連
司馬晋関連
春秋関連
中国史以外(日本史)
ネタバレ用(無双)
本めも
■日記

メモ帳

検索

以前の記事

2018年 09月
2018年 07月
2018年 04月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 01月
2006年 01月
2005年 12月
2001年 01月

記事ランキング

画像一覧